チ。-地球の運動について-という傑作とMATANA
「チ。-地球の運動について-」はマンガの金字塔だ。
男坂、風魔の小次郎、北斗の拳、、沈黙の艦隊、、アカギ、、、男坂、、、風魔の小次郎、、、、あらゆるジャンルのマンガを読みすぎたワタシがいうんだから間違いはない。
「チ。-地球の運動について-」
SNS上で絶賛していた人がいたので、ふーん、ドンナモンカナと手に取ったらば、
巻を措く能わず。。
全8巻を大人買いの一気読みで瞬く間に読破。
Kindleに5600円貢いでもうたっっ。。
本日はそんな「チ。-地球の運動について-」についての感慨と、
知の独占繋がりでGAFAないしMATANAと言われるもの、
ひいては文明とは何かについて語らせてもらおう。
地、動説への弾圧
「チ。-地球の運動について-」は、
十五世紀ヨーロッパを舞台にした作品で、キリスト教・カトリックに僅かだが、確実に斜陽の影が差し込めてきた時代を描いている。
斜陽しているからこそ、異端に対する弾圧が強くなるのは古今東西普遍の摂理だ。
特にキリスト教の教義に反する「地動説」に対する弾圧は過酷を極めていた。
本作品はこの地動説に対する弾圧が表向きのテーマとなっている。
知、の継承
本作品の中で連綿と語られ、幾人幾人を経て引き継がれるのは、
「知」である。
「知の継承」すなわち「文明」がメインテーマだと言っていいはずだ。
カトリックの弾圧の中で、弾圧に抗い、屈さず、、
地動説という「知」を継承していく人物が熱い筆致で描かれている。
血、の代償としての継承
作品中において多くの人物が血を流し、時に命を散らし「知」をつむいでいく。
「血」、つまりは「命」よりも大切なものがある、という思想もこの作品の水面下に脈々と流れており、これも見逃せない。
死、の超克
知を他者に託し、知を他者に継承し、その果てに死にいく登場人物は、みな作中にて、
「朝日」を眺め恍惚としながら世を去っていく。
命よりも大切な何か、死んでもなお果たさねばならない何か、
その何かを果たしたという達成感、、田坂広志風に言い換えれば「使命感」がその描写には宿っている。
使命感と書いて、命を使うと読める。
文字通り、彼らは、知の継承のために命を使ったのだ。
字、という文明の基盤
本作でも語られるのが、文字の重要性だ。
歴史的文脈においても文字の発見はエポックメイキイングなものだった。
文字の発見は、
「思考の可視化」「思いの可視化」「考えるの可視化」を可能にした。
それまで話し言葉だけで、個人個人で大きな誤差があったコミュニケーションを、
文字言語は変えた。
「あなたのことが、、、だから、、、、、、 です」、、、
というように、思いと、考え、、つまりは思考が見える化されたのだ。
今まさに私が、本作への熱い感動を「見える化」「可視化」出来ているのも、何をいわんや「文字」の恩恵に他ならない。
このように文字によって、思考は可視化されたのだ。
字、による思考の集団競技化
文字の功績は、思考を可視化させただけに留まらない。
文字は、思考を集団競技化させた。
どういうことか?
説明しよう。
いままさに、この文章、つまりは文字のセグメントを読者諸氏が見てくれている。
ワタシと一緒に、ワタシの思考をトレースしてくれているはずだ。
これが「思考の集団競技化」の一例である。
文字以前は、自分1人で思考するのが専らであり、他者の思考も見えず、ひたすらに個人競技としての思考にとどまっていた。
個人競技としての思考では軽く限界がある。
なぜならば、ヒト1人の叡智など高が知れているからだ。
しかも、文字がないため、知恵叡智の伝承もままならない。
話し言葉は宙空に飛翔してしまうためだ。
他方、文字言語はそうではない。
文字言語は紙の上で佇み続け、十五世紀の誰かの思考すらも、時を500年隔てた我々現代人が「見る」ことが出来る。
つまり、文字の発明によって、
「思考・知」、が「時と宙」を駆ける力を獲得したのだ。
なんか、、
チ、ョウシ出てきたよ。。
知、時と宙を駆ける
この文字の普及を危惧したのがカトリックだ。
カトリックは天動説を信仰の補助教材として、地動説を禁忌とした。
カミがあられる地こそが絶対不可侵であり、この地球こそが宇宙の中心であり、
地球の周りを森羅万象魑魅魍魎あらゆるモノコトが回っている。
それがカトリックの陥っていたドグマであった。
地、動説と天動説の二項対立という本作の限界
ここまで読み進めてくれた読者は、こう思っているはずだ。
「天動説、は誤りであり」、
「地動説、こそが真理である」と。
この命題は一面において間違いではないのですが、
なにぶんワタシ細かいことが気になる性分でしてね。
地動説というのは、二項対立の極北にあって大袈裟なんですわ。
・→→・・・・・・・・→⇩⇩
↑
↑ アウフヘーベン
地動説 ⇨ ⇦ 天動説 「天も、知も動く」
アンチテーゼ テーゼ
現実世界は、地球も動いているし、太陽やその他天体も動いている。
地球が動いている、とする地動説だけでは森羅万象有象無象を解明することは覚束ないんですね。
知、の地での独占 15世紀・カトリック
カトリックは作中で知の囲い込みを行い、既存の秩序を守ろうとする。
これが絶対悪とは言い切れない。
「悪い秩序は、無秩序に勝る」と言ったもので、キリスト教という秩序が崩壊すれば、西洋世界から秩序が失われ、人々の多くが路頭に迷う。
だからカトリックによる知の囲い込み、地動説の弾圧は一面において正しい。
知、の宙での独占 21世紀・GAFAからMATANA
翻って、現在2024年。
知はGAFAないしMATANAによって独占されつつある。
MATANAとは、
M マイクロソフト
A アップル
T テスラ
A アマゾン
N ネルディビア
A アフファベット(google)
アメリカ大手IT企業6社の頭文字をとってアウフヘーベンさせた略称ないし総称である。
MATANAはSNSや検索エンジンを介して、我々の個人情報を宙すなわちクラウドで蒐集し、それをクラウドで独占しつつあるんだ。
かつて15世紀にカトリックが地においてやろうとした知の囲い込みを、
21世紀においては、MATANAが宙においてトレースしよとしている。
15世紀のカトリックには、アンシャンとはいえども秩序を守るという金科玉条があった。
他方、21世紀のMATANAはどうだろうか?
秩序を守ろうという気概や信念はあるのだろうか?
もし秩序を守ろうという想いがないならば、
知を、彼らから解放しなければならない。
「チ。-地球の運動について-」で描かれたように、、
15世紀に多くの偉人たちが、カトリックから知を解放しようと、、
血と知を地に流したようにね。
ありがとう。
では、また逢いましょう。