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『大きな刺激はしんどい』コロナ禍に起きた僕らの変化の話

みなさんこんにちは。久しぶりの投稿です。

ちょっと前に、漫画家こしのりょうさんの連載『銀行渉外担当竹中治夫』が完結したのですが、会社員の日常や苦悩をリアルに描かれていてハマっていた、すないぱ~です。いやぁ、最終回の描写がまた素晴らしくてですね、会社員の幸せについて考えさせられる内容だったので、しばらく頭の中にこの問いが残ったまま生活をしていたんです。

ネタバレっぽくなると良くないのですが、主人公の日常の風景でストーリーが終わるんですよね。そして、その日常はむしろ社畜的な状況にあってハッピーエンドとは言い難い。最後の最後まで主人公に理不尽な不幸が降りかかり、ストレスMAXの世界。ああ、こしのさん連載終了に向けて話をまとめにいかないのね、このストーリーは読者や作者の都合で動いていたのではなく、あくまで竹中治夫のストーリーなんだなぁと。(どハマり)

前置きが長くなってしまいましたが、今日は職場や日常のストレスについて考えていたことと、コロナ禍がもたらした身のまわりの変化についての話です。

日々はストレスを向き合うことの連続

『職場は居るだけでストレスだ』これはよく聞く言葉なのですが、自分の好きなことや得意なことを仕事にしている人、そうでない人、どんな仕事にも一定のストレスは存在しますよね。やりたくない仕事をやらされているとき、上司に詰められているときはもちろん、頑張っているときにもストレスは発生する。無風の環境も本気で走る人にとっては向かい風に感じるハズ。

このストレスというやつは、無さすぎても刺激不足になったり無気力になるのでやっかいで、僕は上司や先輩から自分にとって適切な量を知っておくと良いよと言われてきました。(実際、どこまで自分を追い込めるかを自覚するためとしか解釈のできないプログラムも存在した)僕は専門ではないのですが、ストレスとは生きていくうえで避けることができないものだと思っているんですね。

一方、ストレス発散という言葉もあります。ストレスが大きくかかっているときに解消するための動きですが、ストレスが大きくなるほど発散するための行動もそれなりにエネルギーのかかるものになりますよね。僕は営業職だったので、商談がうまくいかない日や目標達成が厳しいときはジムでバーベルをあげまくったり、ラーメンを食べまくったりしていました。それでもおさまらないときは、遅くまで飲みに行ってしゃべりまくったり、カラオケオールをしていたり…今となってはとんでもないエネルギーを放出して戦っていましたよ…懐かしい。みなさんの中にも、友人や恋人と過ごす時間や趣味に没頭する時間などを豊かにすることによってストレスと向き合っている人が多いと思います。

私たちはたくさんのストレスと日々向き合って、全体としてプラスマイナスゼロになるように自分をコンロトールしているのではないでしょうか。

職場の中ではストレスが大きいからこそ、家族を大事にしたり、趣味を大事にできる。(家庭こそストレスが…という人もいるとは思いますが)

冒頭の漫画の話に戻ると、主人公の周りは職場のストレスが超大きく、仲間や家族を大事にして、全体としてプラマイゼロ(ややマイナス寄りかもしれない)になっている。仕事のシーンだけを切り取ると決してハッピーエンドになっていないところにも共感ポイントがあったのかなと考えたんですよね。プラスマイナス、ややマイナス寄り。そんな生活をしていたこともあるよなぁと。

コロナ禍で行動規模が小さくなっているのは発生するストレスのせい?

ここからはコミュニティの話です。コロナ禍でリアルなイベントが無くなり、オンラインが中心になったのですが、どうもメンバーから『新しいチャレンジをしようと思えない』『ゆったり居心地の良い場所に居続けたい』という声が増えているような気がするんです。これはひとつの現象であって良し悪しではないのですが、確かにそうだよねぇって。

そこで、国内屈指のステキコミュニティマネージャーと僕が尊敬している、前田デザイン室の前田さん&浜田さん、箕輪編集室の柴山さんに相談させて頂きました。明るい話題がなかなか増えないんですよ~~、みなさんの周りはどうですか~~~~???という感じです。すると、みなさん同じようなことを考えていらっしゃったようで『動いて欲しいなら、やることを明確に決めて参加しやすい案件に仕立てること』『動いたほうがいい、という考えを捨てて起こっていることを観察してみては』というアドバイスを頂いたのでした。今こそ、欠けているものやメンテナンスが必要なものに手をつけるべし!ということだったんですね。さすが。みなさん、コミュニティの変化に対してフラットに見て打ち手を打っていらっしゃる。

フラットに、フラットに…(言い聞かせつつ、続く)

僕の関わっているコルクラボは緊急事態宣言の頃から『行くコミュニティ』よりも『居るコミュニティ』へと変化してきていて、オンライン化の影響だと思うのですが、日常のすぐ近くに仲間がいるような存在になっているんですね。毎晩のように5人程度が集まるイベントが複数立っていて、マンガについて語ったり、読書会をやったり、人狼ゲームをやったり。共通しているのはその日その時間をいかに楽しむかというものが多いのかなと思います。

逆に1~3ヶ月単位のプロジェクトは起こりにくくなっています。大きくなにかをやろうとするとパワーもかかるし、大変。生活のリズムが不安定な仲間もいて、長期プロジェクトには『コミットできない』という声もある。

そうか、チャレンジには『○○なければならない』という意味合いが乗っかってくるんだな。と思いました。つまり、ストレスを同時に背負うという行動になりやすい状況なんだな。コロナ前、オンラインサロンでのチャレンジは職場でできない仲間つくりや新しい経験をしたいという人にとって、ストレス発散だったのかもしれませんが、今は制約条件や環境要因でストレスも一定量持ちながら動く必要がある。おまけにオンラインの日々の中でメンバー同士の関係を深めるのも一苦労、そうやって見てみるとわかる気がします。日々の刺激が足りなくて、もっと刺激を!という人はこれまでと変わらないのかもしれませんが。ただでさえコロナ禍という、恒常的なストレスを背負っている状況ではエネルギーも日々削られている。そうか。

組織には拡大するタイミング、発酵を促すタイミングがあると思いますが、以前のモノサシで判断していると思うようにコーディネートできないことも増えてきそうです。常にリアルを見て、自分たちのモノサシをアップデートしていくこと、チャレンジだけでなく時にはやめていくことも考えながらストレスを向き合った過ごしていこうと考えたのでした。

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