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アタマで生きる-ハートで生きる:『為るものは為る』の法則【きまぐれエッセイ】

無為の徳。

アタマで生きている人は知識を得て多くのものを身につけるけれども、道(タオ)から、だんだん遠ざかっていく。アタマはまるで万年筆のインクのように、どこまでも溢れ続ける。知識の海に溺れて、船が見えなくなるほどだ。でも、それが本当に生きることなのか、と問えば、答えはNOだ。脳味噌の中の迷宮に囚われ、ハートは置き去りにされる。

一方、ハートで生きている人は、難しい話題にはついていけないけれど、道(タオ)にどんどんどんどん近づいていく。ハートで生きるとは、まるでひまわりが太陽に向かうように、自然に、無理なく、自分の本質に向かうことだ。ハートは知識の束縛を解き放ち、自由に飛び回る鳥のようだ。

『無為』とは、余剰物、余計なものをことごとく削ぎ落とし捨て尽くしていったその先にある無知無欲の境地。まるで古い着物の襟をほどき、糸一本一本を引き抜いて、最初の状態に戻すような感じ。何かにしがみついている、依存している、拘っている、何かに囚われているとしたら、決して無為の人にはなれない。そんな状態では、脳味噌のジャングルに迷い込んでしまう。

何かにしがみついている、依存している、拘っている、何かに囚われている人は、アタマで生きている。記憶の中で生きている。まるでビデオテープをリピート再生しているようなものだ。ハートで生きていない。ことさら余計なことをしなければ、為るものは為る。為らないものは、はじめから為らぬもの。

無為にして為さざるは為し。まるで風が吹けば葉が揺れるように、何もしなくても自然に起こることがある。無為とはその風のようなもので、ただ存在するだけで全てが調和する。無為の中には、静かな力が潜んでいる。

考えてみれば、最も深い知恵は、無知の中にあるのかもしれない。最も深い愛は、無欲の中にあるのかもしれない。そして、最も深い生き方は、無為の中にあるのかもしれない。為るものは為る。これが、『為るものは為る』の法則なのだ。

風が吹き、葉が揺れる。その無為の中に、全てがある。


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