『上海』と『クラッシュ・バンディクー』とPlayStation 5
ゲーム業界にはサクセスストーリーがある。その経緯を身近で見てきた。
面識のある人が有名になったり、ビジネス上成功したりと様々なケースがあった。
例えば、2020年3月PlayStation 5の解説に登場したマーク・サーニー氏。
その前のPlayStation 4のプレゼンテーションも彼が担当していた。肩書は、リードアーキテクトというゲーム機設計の責任者だった。
1980年代後半、セガがマークⅢを発売していたころ。大鳥居に社屋があったセガで、彼はマークⅢ版『上海』の開発に関わっていた。
あとで社内の人に聞いてみると、社内の環境は必ずしも彼にとってよくなかったらしい。外国人だったので疎外されていたというようなことを言っている人もいた。
それから10年ほど後のこと。『クラッシュ・バンディクー』がプレイステーションで発売された。日本でも人気タイトルになり、『クラッシュ・バンディクー2』のプロモーションでマーク・サーニー氏は来日した。
当時赤坂にあったソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)で彼に会うことができた。
取材の最後に、「セガで『上海』を作っていたころに一度お会いしています。あなたがこんなに成功されてうれしいです」とつたない英語で伝えた。そのあとの彼の笑顔がとてもよかった。
セガ、SCE、ソニー・インタラクティブエンタテインメント(SIE)で活躍してきた自信と余裕があった。
彼を含めてゲーム業界で成功した人は、業界を盛り上げてくれたし、ゲームの歴史に足跡を残している。
とくにマーク・サーニー氏は、セガが20年以上前にゲーム機から撤退していることもあり、元セガの関係者として今でもゲーム機に関わっていることがうれしい。
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