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地方の教育、福祉。

久しぶりにnoteを書く。
定期的に自分の想いを、言葉を紡ぎたい、そう思うときがある。

地方と都市部。
ここにはどんな差があるのだろうか。

教育格差。貧困。不登校。ヤングケアラー。
ここにはどんな声があるのだろうか。

今、私が向き合いたい問題とは何か。
活動をはじめてもう3年がたとうとしている。
当時はじめた頃は20歳。
活動をしていけば行くほど、リアルに感じる地方の課題。そこで生きる子どもたちのリアル。今日はそれを自分なりにまとめていきたい。

つらつらと述べていく。


私たちの活動場所は徳島市内から車で1時間半かかる、海沿いの小さな町が3つからなる郡部。大体1クラスしかないような小規模校が点在していてる。私の同級生は30人ぐらいいるけど、もう今は15人ぐらいと聞く。

自然も豊かで、海も、山も、川も近いし、星空は本当に感動するぐらい綺麗。田舎で子育てをしたいと思う人もいるかもしれない。
私も地元のあたたかさや人の優しさが嬉しいなぁと思うし、この繋がりは本当に財産だなとも思う。
だから否定したいとか、そういうわけじゃない。

でも、人口を1万にきっていくような過疎地は地方の中でもなかなか厳しい側面もあるとってことも伝えたい。

もしかしたら、ちょっとこの記事をみて
そんな事ないって思う方がいたらごめんない。
地方の教育の素敵なもの、まだまだ見つけられてないこともいっぱいあるけど、今日はちょっとしんどさについて見ていきたい。

私たちは3年前から、子どもの居場所活動をはじめた。
最初は、気軽に思春期の子たちが来れる居場所を、その1年後に不登校や中退の子たち向けの居場所をつくった。今はそこに繋がり事業として地域食堂と、訪問支援が加わり活動をしている。


いま、日本ではこどもを取り巻く環境は厳しくなってきていて、
貧困問題・不登校問題・虐待・ヤングケアラー・子どもの幸福度の低さ・自己肯定感の低さ
色んなことが言われている。

その流れは、都市部だけではなく地方でもあり、ここ徳島県でも不登校の数は5年前から2倍となり、虐待の件数も右肩上がりである。

そうした中で、何が問題かと言うと、彼らへのサポートが民間も、NPO団体も、行政ですら遅れているということである。

どういうことかと言うと、
都市部に比べて、地方は地域の繋がりがあって、助け合って生きてきた。
集落の集まりや行事で家庭同士が繋がる、
近所のおっちゃん、おばちゃんが声かけてくれる
家が近い年の離れたお兄さん、お姉さんと仲良く放課後は遊ぶ
いっぱい野菜が取れたよって持ってきてくれる

そんな繋がりに中で子どもたちは育ち、褒められ、ときには叱られながらもみんなに見守ってもらいながら豊かに育っていく。

でも、近年そういった繋がりはどんどん地方でも希薄化している。
そうなると、子育ては家庭が、教育は学校へ、より孤立化していく。

そうなってくると、家庭がしんどい、学校がしんどいといきなり、繋がりをなくしてしまう子どもたちが出てくる。

子どもの活躍できる場所やいれる場所が、地域のいたるところにあった時代は、一個だめでもこっちのコミュニティがある、ここでは褒められる、そんな状態だったと思う。

こうしたことで起きる問題は都市部でもきっとおきているし、都市部の方が早くから顕在化していたと思う。
だからこそ、都市部では行政の制度もでき、それを支援するNPOもたくさん生まれ、まだまだ間に合っていないとはいえ、進んできている。

でも、地方はどうかと言うと、支援制度がまだまだ整っていないし、NPO団体も少ない。
しかも、普通に支援するより課題が多い。

地域に100人不登校の子がいて、電車もいっぱい通ってる地域でするのと、
地域に20人の不登校で、それも点在してて、交通に便も良くない地域でするのとは支援の難易度が違う。

都市部では貧困は貧困、不登校は不登校、障害は障害ってわけて取り組んでも人数がいるから成り立つし、複合的な問題は連携し合えばいい。

でも、地方は、取り分けてサポートするには人数が少ないし、スタッフだって確保しにくいし、お金もない。それにどんどん人口が少なくなってくる地域だとなおさら予算化しにくい。

人数が少ないから手厚くサポートできるものもあるけど(例えば〇〇検診とか、相談とか)、放課後等デイや教育支援センター、フリースクールなどはどうしても遅れる。

「子ども支援の空白地帯」となっているところがある。

しかも、そうした地方でのやり方がまだまだ確立されてないのが現状。
都市部の真似をすると、人的にも財的にも厳しくなる。そうした部分を考えてくれる団体もそもそも少ないからノウハウが溜まってない。

これまでは地域力でカバーされてた地方の子ども支援が、近年それではカバー出来なくなり問題が大きくなってきたのが今だと思う。

人口が少ないから逆に孤立するということも起きる。

クラスの友達は15人。
部活もクラスの友達、
塾もクラスの友達。
何をするにしてもクラスの友達。
だから、学校がしんどくなれば一気に繋がりを失う。
「簡単に喧嘩できない」そう発言した小学生がいた。
この繋がりが15歳まで続く。そう思うと、ちょっと息が詰まりそうな気がしないだろうか。

地方の学校の部活。
人数が少ないから限られる。
絵が好きでも美術部がない。
サッカーが好きでもサッカー部がない。
だから仕方なく帰宅部に、なんてことはよくある。
クラブチームのないから、どうしてもしたい子は親が車で1時間以上かけて送迎して市内までいくなんてこともある。
子どもが活躍できる場所も、少しずつ少しずつ減ってくる。
経済的な理由で体験格差に繋がるっていうけど、
地域的な理由で体験格差にも繋がる。

ちょっと勉強しようと思っても、市内まである本屋さんに行かないと参考書は手に入らない。
もちろんネットもあるけど、本屋さんで自分に合う本を選ぶって結構大事。

学校に行かなくなった。
そうしたら、この地域では目立つし、おばあちゃんおじいちゃんは特に気にするから地域の中で外出できない。
きっと都市部だったら別に日中にマクドナルドとかに、いてもそこまで目立たない。

家がしんどくなった。
だけど、この地域に行ける場所は図書館ぐらいだし、それも夕方には閉まってしまう。
カフェも高齢の常連さんが通う喫茶店しかなくて入りにくいし、ゲームセンターなんてものもない。

そんな状態になる。
なにせコミュニティが狭い、少ないと何かあったときに一歩間違えれば、孤立してしまう。
しかも、そうなった時のサポート体制が十分にないから、やり直していくきっかけも少ない。

意外と怖いものだと思う。
そうした子たちの中にはもう地元は嫌だから出ていきたいと願い出ていく。
そうしてまた人口が減っていく。

繋がりがあるだけではダメで、それが多様であることが重要なんだと思う。

それにキャリア観も違う。

中学生3年生。
はじめて大学生と話す子もいる。
親も兄弟も大卒でなければ、2時間車でいかないと大学がない地域だから会うことなんてない。地域の塾や、ファミレスでバイトしてる大学生を見かけることもない。

不登校になったらなおさらそう。
あるお母さんから
「うちの子は近くでレジ打ちとか出来ますかね。農家もいいけどやっぱり高校に行ってそういうサービスの仕事がいいかなって思うんです」

そんな声も聞く。

別に大学進学がいいというわけではない。
でも、はやくから中学受験して大学まで意識している子たちとは見ている世界が違う。

最近は情報社会だから子どもたちも大学を知らないわけではない。
でも身近じゃない。

多分、海外留学をする子は多いけどまだ当たり前に選択肢に入ってくるかと言われればそうではない。
きっとそんな感じ。

今は、日本では授業料が免除になったり、奨学金制度があったりするから経済的な理由で諦めなくてもいいようになってきている。

でも、それをそもそも使おうと思わないということだ。


こうした中で、近年地方でも普及している活動が子ども食堂だ。徳島県でも100ヶ所をこえる。

こうした繋がりできっと救われる子もいるだろう。
地域の繋がりの玄関になるような取り組みだと思う。

その多くはボランティアで行うから月1回で、60代以上で仕事を退職されてって方がされているところも多い。

なかなか月1回や2回の子ども食堂では、
本当に困難な子どもたちが自立していく力を身につけるには時間が足りないし、一緒にご飯を食べるだけではなかなかつかない。

こうした繋がりや、市民性による取り組みはきっと地域において重要。
しかもそれも、ばっと広がっているし、今後も続いていくと思う。

だからきっと地方に子ども支援も次のフェーズに行くときだと思う。
新たな子ども支援のインフラを作っていくとき。

こども食堂をしはじめての課題として
・必要な家庭に届いているのか
・もっとサポートしたいけど月1回では限界
・学びや体験の保障という観点ではスタッフの確保や日数的に厳しい
・小学生向けが多くて中高生には届かない
・ロールモデルとの出会いは少ない

そんな課題をいかにリソースが少ない地方でも実現していくのか。

これが私が向き合いたい問いである。

ちょっと重たくなってしまったし、難しくなってしまったけど、

どこの地域で生まれても、どんな環境で育っても豊かに学び可能性を広げてほしい

それが願い!


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