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読書記録「努力論」②

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

引き続き、幸田露伴先生の「努力論」岩波書店 (1940)を少しずつ要約して参ります。

運命と人力

「運命前定説」の捕虜となって、(運命を)前定して居るものと信じて、その自己の幸運ならざるを嘆ずる者ほど、悲しむべき不幸の人はない。

同著 28頁より抜粋

努力をしていく上で、露伴先生はまず「運命」について論ずる。かつての英雄と呼ばれた者達はみな「運命は自ら切り拓くものだ」と説く。

この前提がなければ、多くの人が自分の生まれた生年月日や顔、血族、環境を言い訳に、「自分の運命はすでに決められたものだ」と嘆く。

確かに、古来より個性心理学や手相など、運命と生年月日や容姿などの相関を問う学問はあるが、悪い結果という運命を嘆くくらいならば、運命は変えられるものと思った方が健全であろう。

露伴先生自身も、成功者と失敗者の違いを、物事の捉え方次第かの如く、以下のように述べている。

世上の成功者は皆自己の意志や智慮や勤勉や仁徳の力によって自己の好結果を収め得たことを信じて居り、そして失敗者は皆自己の罪ではないが、運命の然らしめたがために失敗の苦境に陥ったことを嘆じて居るという事実である。

同著 30頁より抜粋

誰しもが好運を追い求め、否運を避けたいものだと考える。しかし、多くの人は、努力の結果として好運が訪れたと結び付けるけれども、力不足の時は、最初から運が悪かったのだと言ってしまうものである。

しかし、それを理由に努力をしなくていいという理由にはならない。どうせうまくいかないからという理由で修練や勉強を止めてしまってはならない。そのような人は自ずと、他人が悪い、環境が悪い、会社が悪いなどと言い訳ばかりする人間になりうる。

露伴先生は、好運を引き寄せる者についても述べている。

好運を牽き出す人は常に自己を責める。何事に拠らず自己を責めるの精神に富み、一切の過失や齟齬や不足や不妙や、あらゆる拙なること、愚なること、好からぬことの原因を自己一個に帰す。

同著 33頁より抜粋

冒頭でも述べたように、英雄たるものは、生まれや環境のせいにすることなく、ただ自ら運命を切り拓けるのだという意志を持っている。

だからそこそ、運命を左右するのは常に自分であることを自負している。結果の原因は常に自分であり、運命すら自らの味方についていると考える方が健全であろう。

かつての英雄達も、自ら責任を負うことによって偉人と呼ばれるようになったのである。故に、何か物事を成し遂げる意思のある者は、英雄達と同じ心持ちで、日々努力する必要がある。一朝一夕で偉人になれた者はいまいのだから。

それではまた次回!

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