美しいって幸せなことかも
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
三連休2日目。土曜日の読書会以外に、何も予定を立てていない人。
こんな日は美術館を訪れるのに限る。何とかベッドから這い出て、午後から行動開始。
国立西洋美術館の「モネ 睡蓮のとき」と迷ったが、会社の先輩が「良かったよ」と話していた、東京都現代美術館は「高橋龍太郎コレクション」を訪れることに決める。
結論から言うと、「とても良かった」(笑)
先に伝えておくと、月に一度は美術館を訪れている私だが、芸術に関しては何も知らないに等しい。
視覚的美も聴覚的美も嗅覚的美も味覚的美も触覚的美も内省的統合的感性混成創造湧出美(観想美)も、何一つ知らぬ。
美の本質やら真髄やら、美は人の認識から乖離しての孤高の存在足りうるのだろうかと私に問われても、「知らん」としか言えぬ。
逆に言えば、そういう知識を持ち合わせていないからこそ、感性に従って絵画や彫刻を観れるのではないかと、勝手に思っている。
さて、高橋龍太郎コレクションである。
14時30分頃訪れて、1階の展示ルームを見終わったのが16時30分。閉館が18時なので、後半は割りと駆け足気味に巡る。
普段美術館を訪れるときは、鑑賞の邪魔になるからと財布や携帯はロッカールームに入れてしまうのだが、せめてカメラは持ってくれば良かったと少し後悔。
とは言え、カメラに納めたいと思ったのは、その絵が素敵だからと思ったものである。
まぁ結局、カメラに納めたとて、その後見返すことがほとんどないのだけれども(だから携帯すら持ち歩かないのだが)。
でも、素敵だと思った絵が、美しいかと問われたら、別である。
いや、芸術に関してズブのド素人が、そんな事を言うのは烏滸がましいかもしれない。
ただ、直感的に「良いなぁ」と思ったものと、心の底から「美しい」と思った感覚は、必ずしも一致しないかもしれぬと悟る。
「素敵だな」と思うものは、頭で考えている。でも「美しいな」と思うものは、心から発せられる。
それは、風景を如実に描いているとか、細かいところまで繊細に描いているとかではなくて、何かこう、作家の思いが伝わるというか、精神の脈動を感じるのである。
じゃあその源泉は何処から来るのか?という話になると、私は専門外である。
それに、私が「美しい」と思うものが、他の人も同様に「美しい」と思える訳ではない。
ただ一つ、芸術なり目の前に広がる風景を見て、「美しい」と思えることって、とても「幸せ」なことなのかもしれない。
ただ「イイね」と思うだけでなく、精神が充足されるような感覚。
これもまた、芸術鑑賞の楽しみですよね。それではまた次回!