千葉高生よ、全知になろう。
悩める葦の千葉高生の皆さん。こんにちは。
悩んでる皆さんに、今日は解決策のひとつを持ってきた。
ちなみに僕はこれで悩みループを解決した。(気になっている。)
まあ、無職の戯言だと思って暇な人は読んでほしい。
全部納得するまで勉強するのはどうだろう。
全知にならないか?
…?
脳、歴史、宗教、哲学、お金、ビジネス、経済、法律…etc一旦全部既知にしてしまったらどうか。(は?)
はたまた、心理学、医学、精神疾患
医者がどう直し、患者と接するのか、脳のメカニズム
医者は何を知ってるのか。
これ、全部調べてみたらどうだろう笑(やな患者だな)
医者もしょせん数十年前に医学部出ただけの同じ人間だし(失礼)
自分で自分の診断出せるくらい勉強したらいいんじゃないか?医学つったって本にいくらでも書いてあるし医者も自分でブログ書いてご丁寧に発信してくれてる時代だし。
実はぼくはこう見えても結構頑固な心の持ち主で、納得できないこと、自分の知識と見比べて、腹落ちしないこと、間違ってるように思えることは、医者だろうと、先生だろうと、上司だろうと、神だろうと、親だろうと、何だろうと、とにかく従いたくない。うるちぇ~!!!て気持ちになる。
…けどまあ、心の中で思うだけで、だいたい従う。
脳という臓器をあまり過信しない
納得するまでに少々時間がかかる僕はあろうことか自分の記憶も知識もあまり信用してない。
だって、人間の記憶ってすぐ自分の都合のいい様に改竄されるし。
自分の頭に詰まっている情報、意見、感情なんて案外あやふやだ。
細胞が絶えず死んでは生まれ、化学的な微弱な電気信号で伝達してるわけだし、もの忘れも良くする。時間、気圧、温度、血糖値、様々な外部環境の入力でも気分はころころ変わるし。
デカルトさんの「我思うゆえに我あり」って割と信用できない。その思考っていう行為を脳の活動や、人間の学習の仕方から考えると、本当に「我」あるか?ってなる。(最近の人工知能の研究をみていると特に)
人間も所詮生まれてからの情報を学習データに使っている深層学習、肉chatgptで、使う学習データによって、色んな出力の癖を持つようになってるだけにすぎないんじゃないか。全く入れてない情報は人間も出力できないし。
人間だって変なデータを学習すればちゃんと変な出力を出すわけだし。
僕らの思考のおおもとをたどっていけば、子どもの頃に影響された物語だったり、生まれ育った環境から得た教訓、最近感銘を受けた知識の焼き直しだったりするんじゃないだろうか。
口から出て初めて自分こういうこと考えてたのかって思う時も多々あるし。
1年前まで安定を求めて大企業の一員だった「我」はこうしてやりたいことやってる面白無職の(そろそろ違う肩書きを持ってしまうことになる)「我」になってるわけで、もはやこいつは完全に違う「我」では?
と、そんなことを考えていると宇宙猫みたいな顔になってくるのでそろそろ思考をやめておやつを食べる笑
そんなこんなで僕は1/2の確率で傘をどこかに忘れる自分のことを本当に信用していない。
記録に残ってないものは基本信用できない。常に間違ったこと言ってないか不安になる。
学習データを詰め込もう
暇を作ってたくさん勉強したらどうだろう。そうだなあ、一年くらい。
その暇を作るのが難しいんだけど、後の数十年の人生を考えたら勉強期間の一年や二年くらいなら結果的に得でしかないと思う。
浪人期に総復習した知識も大学の勉強で得になったし、今考えると休職したクラゲ期間も人生を見つめ直すのにやはり必要不可欠な時間だったように思う。
その先の人生の不安ごとや悩みを解消出来るのならそれはかなり人生においてプラスなように思えるし、案外人間ってやつはいいかげんで今が楽しければ苦しい過去の記憶を良い思い出と改変する機能が備わっているらしい。
パソコンがあれば無限に情報を家で探せる。(正直これだけで十分)
だいたいどこの図書館も無料で空いてる。大学の図書館だって予約すれば入れるし、国立国会図書館もカード作れば誰でも入れる。
一年くらいあれば、一通り自分が気になるけど未知にしておいたことが、全部ある程度既知になるし、手に入れたかった技術も色々手を出せる。
だって、おそらく千葉高生って集中力が人よりあるor学習速度が速いから受験に強いわけだ。しかも複数教科同時に勉強して試験に臨めるってことは異なる分野の知識にも同時に対応が可能なわけだ。普通の人はなかなかそうはいかないと思う。
(たぶんもうその力ないよって人も単に忙しすぎるだけで、暇になったら昔の感覚を取り戻すと思う。現に仕事で新しいことを覚えるという勉強を続けていて、皆他の人より学習速度が速い部類の人だと思う。単に力を仕事で使い果たしてしまっているだけな気がする。)
僕が昔、家で浪人してたときのノートをもったいない性の母は捨てずにとっていた。
千葉高生が目指す大学の受験生活って、このくらい一年間でノート消費するらしい。多かれ少なかれ。
今見ると結構な情報量だ。ほんとに自分でやったんか?狂ってんじゃないか?こいつ。他にやりたいことあるだろ普通。
ちなみに僕の感想としては大学受験より千葉高に受かるための高校受験の方が勉強した記憶がある。受験って恐ろしい。ガキ(昔の僕)はもう少し真面目に遊んだほうがいい。あと友達とか彼女とか作る術を学んだ方が良い。
勉強得意人間たちが一年くらい真面目に人生に必要な様々な教科をひとっとおりやると、
あ、世界わかった。てなると思う。
今までの蓄積もあるし。
未知を既知にしよう
こいつ正気か?危険な世界への誘いすぎやしないか。
いや、これは結構健全な提案だと思う。
周りに縛られず、不安に苛まれずに自由に生きたいんだったら結構おすすめ。
ただ普通の人にはおすすめできない。論理的に考えられる千葉高生だからおすすめできる裏技な気がする。(普通の人は陰謀論とかにハマってしまう危険がある)
僕らは将来のお金とか、仕事とか、人生とか、とにかく未知で、わからないから不安でたまらない。
だから僕らは就活を頑張ってよくわからないけど名前を知ってる大きな会社とかに入りたがる。お金があれば幸せになれると思ってとりあえずお金が欲しくなるし、立派で強そうな肩書は羨ましい。
自分が幸せになれるかなんて、まともに考えたら他人にも会社にも決定できないし、自分が求める幸せは果たしてお金と交換できるものなのか考えてないことも多い。
こんな突拍子もない提案をするのは何故かというと、不安や悩みの根本的な原因である未知が既知になった瞬間、突然怖くなくなって悩みが溶けて消えるからだ。どうやら脳はそういう仕組みをしているらしい。
だって知ってるものを怖がって行動をしないというのは生存戦略としてメリットがない。
千葉高のショウジョウバエの実験しかり、案外詳しく知ってみたら気持ち悪く思ってたウジ虫を育てるのだって平気だったように恐れはたいてい無知から来る。
だから未知が既知になった瞬間、赤い不安ランプの点滅が青い安心ランプの点灯に切り替わる。
これを一つ一つ丁寧に未知から既知にしていく作業(腹落ちして納得できる解答を探す作業)をしていくといいんじゃなかろうか。
部分最適解を選ぼう
時間はかかるし、必ず対立する意見がすべてに存在する。
実はどっちを信用してもそれは正しい。
この世に唯一解はない。それぞれの立場の人が信じてる部分最適解を、皆がそれぞれ本とか記事とか物語とか音楽とかYoutubeとか映画とか思い思いに伝えてくる。
だからどっちが正解、間違いということもない。
自分の学んだ知識と照らし合わせて、どっちがより信用できるか(どっちを信じたいか)納得できるかを探していく。
このとき最近のTwitter(X)は情報源として、あまりにも匿名すぎるし、情報の切り抜き方も粗雑だからおすすめしない。教養目的や趣味で勉強してる人のYoutubeのほうが信頼できたりする。
これをすると、だんだんだんだん不安のノイズが減ってくるし、視界が開けてくる。
休職中の解脱
ちなみに僕は、そんなことを休職中の1年2か月の間にやって、(前半はずっと寝てた)
仏がなんで天上天下唯我独尊とか、偉そうなこと言ったのか、ある日、色々な知識がつながって、あーなるほど、わかった。ってなった。
(は?)
そのときは休職中に一人で踊ってた。(なに言ってんだこいつ)
(もしかすると生物選択の人は僕の気持ちがわかるかもしれない。)
千葉高生に一年くらい勉強期間を与えると、どうやら修行をしなくても本物の悟りを開けるらしい。
暇な人は手塚治虫のブッダも読むと良いかも。あと火の鳥も読んだ方が良い。仏教の哲学が描かれている。あと生物の勉強も少し。
名作の漫画、アニメは絶対見たほうが良い。
(ニートとアニメが昔から親和性が高いのは偶然じゃないと思う。絵と音楽と物語を同時に摂取できる、かなり優秀なコンテンツだ。あと普通に面白い。)
末法だと思ったろ。残念だったな。ゴータマ・シッダールタはインターネットと日本の最強コンテンツ「アニメ」「マンガ」を知らない。バカめ笑
FPS(一人称視点)からTPS(三人称視点)へ
勉強をするとどうやら自分を一人称ではなく三人称視点の少し上の世界から見れるようになる。(正確には見てるような気分になる)
そうするとだんだん自分の人生の使い方の裏技攻略法みたいなものがぽこぽこ思いついて、人生が楽しくなる。
家庭科とか生活とか音楽とか技術とか体育とか。
受験で使わない勉強が実はとても大事なことにも気づける。
この教科をバカにしてる人たちはすぐにあらためたほうが人生生きやすくなる。
テストの点数(スコア)、年収(コイン)、資格(トロフィー)だけ競ってても、人生はちーっとも楽しくならない。みんな薄々気づいてるはずだと思う。
楽しくない人生でもいいんだったらバトルしてても問題はないんだけど、僕はやっぱ楽しく生きたい。現世の人生は一回きりなんだし。
小さいことにこだわってやりたいことできずに死ぬのも馬鹿らしいし、人とバトルしてる時間があったら、漫画を読んだりお昼寝をしたり美味しいご飯を食べたり友達と駄弁ったりしたい。
勉強ごり押し一点突破
人間の不安はたいてい未知からくる。
・未知に危機感の薄い人(無鉄砲な人)
・頭で計算しようとするとすぐオーバーヒートする人(勉強不得意な人)
・運よく未知でも生活に困らない人(お金持ちのボンボン)
こうした人たちは僕らと違ってすんなり行動できる。
でも悩める千葉高生はきっと違う。
ぐるぐるずーっと回せる頭をもつ。
考えることは得意で、未来のシミュレーションも回せるけど、なかなか行動を起こすのは難しい。
特に千葉高から卒業して社会に出ると人の目がある。
そんな人間たちの解決法はひとつじゃないだろうか
知識を入れて納得すること。
自分の人生を自由に不安なく行動したけりゃ、ぜーんぶ既知する。
自由学芸の本来の使い方
これはなにも僕が独自に提唱してるものじゃない。こんなやばいことを僕が思い付きで言ってたら皆の親や先生に流石に怒られる。
実は昔の教養大好き自由人たちが言ってる話に過ぎない。
これは古代ギリシア人が言ったエンキュクリオス・パイデイア(円環をなす教養)であり、古代ローマ人が言ったアルテス・リベラレスであり、
現代のともすると少し胡散臭く見える人たちが声高にリベラル・アーツ(自由学芸)と呼ぶ「自由人に相応しい諸学芸」の本来の使い方だと思う。
リベラル・アーツは学校で真面目に教わるいい子のための教養や雑学ではなく、自由に生きたい暇人たちのための学問だ。
教養の勉強という物理でごり押し。
勉強一点突破で知識を武器に人生を自由に生きるというのは、わりと僕らみたいな人間が、昔から社会で認められるために戦ってきた正攻法ではないだろうか。
国の制度や法律、業界の仕組みや様々な技術、お金の計算知識を持っていれば得することが出来たり、不安なく過ごせたり、あろうことかサービス業としてお金までもらえる。
こうしたお得知識は、簡単に皆に得されてしまうと胴元が困るから、小さくわかりにくく書いてあったり、聞きに行って初めて教えてくれたり、ちょっとめんどくさい書類を書かないといけなかったりするかもしれない。
その知識を誰かに提供することがそのまま仕事になっている。
みんな時間がなくて忙しいから自分で調べるのも面倒で”知識”を売買している。
これが第一次、第二次産業が機械によって効率化したのに、なぜか忙しくて時間がない人類が行きついた世界だ。
ともすると教養ある自由人にとっては良い時代なのかもしれない。
知識は全部細かく居れてもいいけど、エッセンス(入門知識)みたいなものを詰め込めば十分な気がする。僕だって知りたいことだけ、ある程度信頼できそうな文献とかソースを吟味して、色々読んだり、見たりで、だいたいわかった気になってる。
ある程度知識が溜まってくると、色々な分野がつながってくるし、似た構造の問題は、あ、これも論理の出発点一緒だなってなってくる。全部受験勉強と一緒な気がする。
いっそのこと人生の受験勉強をしてみたらどうだろう。
あ、世界分かった。
その試験の合格は、色んな知りたかったことを一通り知ってみた後、
あ、世界わかった。て思ったとき。
(正直、集中力がある人や、すでに教養がある人は僕みたいに一年もかからないと思う、多分解きたい悩みの方向性も、かける時間も人それぞれだと思うし、それで問題ない。)
その試験に合格したとき、きっと元気になってるし、なんか世界が澄み渡ってる。
頭もなんかすっきりしてる。ストレスのノイズが消えてる。
それで、自分の好きなようにやってみるか、ってなると思う。
だってもうどうやればいいか、世の中の人間、歴史的に人間たちはどう解決してきたかをだいたい知ってる。
だいたいの予想がつくし自信もついてる。たぶん千葉高生だったら脳みその中で意識、無意識ふくめ数万通りのシミュレーションはもう終わってる。(尊大すぎることを平気で言う)
あとはもう、自分の直観を信じればいい。
天上天下唯我独尊。
これは一個のテーマかもしれない。これが腑に落ちたらもう解脱が近い。てか字のごとく解脱。
このバカみたいな力業は膨大な入力情報をさばける千葉高生の専売特許だ。
悩みの輪廻から「解脱」しよう。
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