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千葉高アカデメイア飯店

対話は珍味

多くの知識を総動員した頭のギアを3段階ほど上げた「対話」というのは”珍味”みたいなものだ。

ある人にとっては癖になるほど美味しく感じるけど、食べたことのない人や好き嫌いが多い人にとっては食べる前から毒かもしれないと疑われる珍味。実際に食べてもあまり美味しくなくて、すぐ食べるのを諦め、普通の人は美味しいと知っているものを食べ続ける。

まさにアカデメイアで行おうとしている「対話」はこうした”珍味”の一種。

千葉高を卒業した同窓生や友人とする「対話」という珍味。これが僕はたまらなく好きで食べていると自然と笑顔になる。噛めば噛むほど味が出る。帰って布団の中でもまだ味が続く。おそらく信じられないくらいの具材が使われている。超高級料理だ。


色んな人生の物事にこうした”珍味”(あるいは妙味)が存在して、みんなアレコレ好き勝手に、人が美味しく食べているものにとやかく言う。

あろうことか人が食べているものを無理やり取り上げて、違うものを食べさせようとしてくる人も社会にはたくさん存在する。

その人にとっては不味いものは不味いから、当然「共感」はできない。共感できない感覚、これは仕方のないことである。

「あんな不味い物よく食べられるなぁ」「分かり合えないヤバいやつなのかもしれない」といった感覚は人間なら至極真っ当である。

こうした感覚は、歴史は遡ると、習慣、言語、食文化その他etc が違うけど見た目は同じ、といった”違うナワバリで住むサル”が敵か味方か判断するのに使っていた感覚かもしれない。

感覚的に違うものを排除し、似たものを仲間と思いこむ習性が、その時代は役に立っていたのかもしれない。

こうした動物的な内の感覚をどう捨て去るか、はたまた外に平和なシステムを構築するか、世界平和の超難問を解くには必要な良問だと思う。

政治、宗教、性、様々なタブー「あれもダメダメこれもダメダメ」と色んな所にいる「マナーの先生」が言う世界で、一見、陰謀論やカルト宗教、詐欺、マルチ勧誘のように見えるものでも、いきなり飲み込まずに味見してみると、なぜそうした主張をしているのか、どこに論理的破綻があるのか、非常に勉強になる。

毒がどこにあるのか、慎重に適切に処理すればこれもこれでなかなか案外安全に美味しく食べることができる。普通の人にはゲテモノを食べているように映るので、そうした恥を無視すれば、もしくは一人でこっそり味見すればなんの問題もない。学問には”食わず嫌いしないこと”がなにより大切だ。案外見えないだけでゲテモノ大好き人間は存在する。

「毒も食らう。栄養も喰らう。」僕が敬愛する地上最強の生物こと範馬勇次郎の名言である。地上最強になるには食わず嫌いしてはいけない笑

防腐剤…着色料…保存料… 様々な化学物質 身体によかろうハズもない。しかし、だからとて健康にいいものだけを採る。これも健全とは言い難い。毒も喰らう 栄養も喰らう。両方を共に美味いと感じ血肉に変える度量こそが食には肝要だ。

範馬勇次郎 範馬刃牙より

千葉高生と聖書

僕の知ってる変な千葉高生は、近くの宗教団体に話を聞きにいってみたり、駅で配っている聖書をもらい、関係者と対話したりする生徒だった。

僕もそんな変な千葉高生を真似して、千葉高に通っていた頃、本千葉駅で配っている聖書をもらった。たしかに良い話は書いてあるけど、そんなにお金かけるようなものかね?おとぎ話とあんま変わらないなと思ったし、すぐ読むのをやめた記憶がある。(駅で一生懸命配っているご婦人に無料で頂いておいて、なんとも失礼なガキである。)

千葉高生の先祖は最初にナマコやフグや蒟蒻を食べようとした、変なやつかもしれない

心の声

聖書がどんな歴史上の書物なのか知らない大人もたくさんいる。

大人になってから聖書の背景知識が、文明の歴史、地理、宗教の成り立ち、文学の知識とつながったときはまるで壮大な物語の伏線回収のようだと感動した。聖書の教えではなく、聖書という歴史的書物に感動した。

こうした教養の伏線回収を学問を続けている人には人生でたくさん味わってほしい。きっと君たちならドーパミンが出まくる。

まかりまちがって陰謀論を信じてしまう人の気持ちも少しわかる。知識がつながった!知らない世界がわかった!みたいなことって気持ちがいい。それもやっぱり動物であり人間である以上、当たり前である。だってそうゆうふうな「臓器」なのだ脳は、脳が正常に動作している証拠である。でもそれを発信している人が利己的な悪意を持っているところまで気づかないと、自由意志はなくなるし、これはどんな人でも陥る危険がある。勿論僕だってそう。

(特に老いて脳の機能が低下していったとき、そうならないか今から不安だ。そうなったら将来、さっさと自分の子に従いたい。なんならもうすでに優秀な若い人に従って動く生活でいいんじゃないかと思う今日この頃である。)

それほどに脳やドーパミンという快楽物質は恐ろしく、人の行動を方向付けてしまう。

まとめ

オトナがかけている色眼鏡を外し、曇ってない目で純粋に疑問に思ったことを、自分の納得するまで知識を集め、わからないことはなんでも質問する。

少しの面倒と気恥ずかしさを堪えてると、そのうちそれが面倒でも恥ずかしくもなくなる。

そうしていくと、将来騙されにくい人間になることができるし、騙そうとする人間が諦めて勝手に離れていく。

子どもの頃に清くかっこよく見えたかもしれないオトナ社会のもつ欺瞞や不正義にも、自ら疑問を持つことができる。

キャッチ―な謳い文句、巧みなセールストーク、小難しい説明、小さな文字でびっしり書かれた契約書にきちんと指摘をすることができる。

見える景色も広域から詳細までGoogleマップのように自由自在に切り替えることができる。

しっかりと自分の頭で考えることのできる人間になれる。

なにより人生の色々な場面で、得た知識と沸く疑問が自分を助けてくれる。


インターネットの片隅で

ひっそりOPENした隠れ家レストラン「千葉高アカデメイア飯店」に

ぜひ足を運んで”珍味”を味わってほしい。


同じ千葉高の仲間と一緒に、海のものとも山のものともわからない最高にcrazyな”珍味”を食べよう。

千葉高アカデメイア総長 早川

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