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いっそ、泣いてしまえば楽になるよ。

 火事からちょうど30日が過ぎました。

 今日は自分のことについて書いてみようと思います。

 火事になってから、辛いでしょう、泣いてもいいよ、っていわれることがあります。つらいでしょ、とか、がんばらなくていいよ、とか、ぐちゃっとなってもいいよ、とか。つまりは、大変な目にあって、心も傷ついただろうし、さぞかしつらいでしょう、泣いてもいいんだよ、ということです。特に僕の場合、涙もろいくせに、強がりで、弱みを見せたがらない、そういうタイプだから、そういう気遣いを相手にさせてしまっているのかもしれません。

 正直、泣きたい気持ちになる時がない訳ではありません。

 でも多くの人が想像しているように「つらくて泣く」のではないと思います。

 不思議に思うかもしれませんが、辛いのを我慢してるとか、そういうことはないんです。火事にあったその日から「大変」なことになった、という思いはありますが、「つらく」はないんです。「おつらいでしょう」、と声をかけてもらうたびに、なんか違うんだけどなぁと、とずっとおもってきたし、やっぱりいまもそう思います。火を目のあたりにした子どもたちや妻は、少し違うかもしれません。「大変」は、ただ大変なだけなんです。家を探さなきゃ、罹災証明を取らなきゃ、保険の手続きを進めなきゃ、子どもを学校に送って行かなきゃ、とかとか普段の生活にはない、新規のTo Doが大量に発生して、追いまくられる、それが大変だということはあります。でも幸いなことに、火事にあったその日から友人知人がいろんな形でサポートをしてくれて、その「大変」をどんどん肩代わりしてくれたんです。

 でも、というか、だから、僕は時折、涙を堪えきれなくなることがあります。あの日以来、想像を絶する「やさしさ」が僕のもとに押し寄せたからです。 

 火事のその日からカンパを集めて回ってくれた仕事仲間たち、不動産屋に掛け合って条件のいい物件を見つけようと動いてくれた人たち、自分の家に住んでもいいよっていってくれた人たち、煤で真っ黒になって焼けた家の片付けをしてくれた人たち、大変過ぎてご飯を作る気になんてならない時に「FUKKO食堂」っていって、トンカツやカレー、カポナータなどなどを届けてくれた人たち、心配してメッセージをくれた人たち。noteを介してサポートをしてくれたり、お見舞い金を包んでくれたり、amazonのWishlistから贈り物をしてくれた人たち...。

 僕らの生活は、おびただしい人たちの「やさしさ」によってなりたっています。その想いにふれるたびに、涙がこみ上げてくる。僕なんて、いい加減な人間だし、正しくはあろうと思っているけれどずるいとこだってあるし、わがままだし、時に嘘だってつくし、そんなダメなやつのために、書き尽くせないほどの人たちが、なにかをしようとしてくれている。

 だから大変だけど、つらくはないんです。

 でも僕は、折にふれて泣いています。

 人のやさしさがありがたすぎて。

  

 

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