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火事で僕のメンタルはどうなったか。

 古今東西、火事について書かれたものはほとんどない。火事になってネットを漁ったけれど、保険について書かれたものぐらいしか見つけられなかった。被害者がどんな目にあって、どんな想いを抱えるのか、当事者の自分が残しておけば、いつか誰かの役に立つと思い、noteを書きつづけている。

 今日はメンタルのことを書く。あれから半年が過ぎ、あの頃の自分を客観視できるようになった。大変なことが起きると、心のことはないがしろにしがちだ。しかし火事という災禍を乗り越えるためには、メンタルにどんなことが起きるかを知っておくことは、何よりの備えになるだろう。

 ふり返れば、火事の直後、僕はいつも動き回っていた。早くなんとかしなくちゃと、精力的に目の前のことを処理していた。体は常にエネルギーを求めていて、おにぎりとかパスタとかをむしゃむしゃ食べていた。体型維持のために糖質を控えるなんてことは全く考えなくなった。睡眠もたっぷり取れていたし、大したダメージを受けているとは思っていなかった。

 しかしこんなことがあった。人前でどう振舞うべきか、時折わからなくなるのだ。笑ったらいいのか、泣いたらいいのかわからない。感情がフラットすぎて、何を感じているのか分からない。不思議な感覚だった。脳が動いていないというか、ただ反射的にコミュニケーションをとっていた。

 やもすれば思考が停止してしまうと、無意識に感じていたのだと思う。逆巻く心の渦に蓋をするように、無我夢中で動き回っていた。無理するなよ、とか、思い切り泣いてもいいよ、とかそういうことをいう人もいたけど、聞く耳を持たなかった。

 数十年かけて積み上げた生活を失った無常感。人に迷惑をかけてしまったという罪悪感。他人から憐憫の目で見られる劣等感。この3つの感情に、将来への不安がぐちゃぐちゃに混ざって、心の中を逆巻いていた。

 火事になって1週間後に書いたNoteには、その想いを無意識で書いていた。

窓ガラスという窓ガラスは熱で割れ、もはや住むことはできません。文字通り家から「焼き出される」ことになります。(中略)火事は、尊厳をも奪う、のかもしれません。

 ひとつ救いがある。それは、火事の災難には終わりがあるということだ。家の再建、近隣の方々との関係、仕事も含め、目の前の困難が去れば、必ず落ち着く日がくる。それが分かっているだけでも助けになるだろう。

 問題は一時的な負の感情を、どうやり過ごすかである。火事にあえば、必ずメンタルは追い込れる。かなりの危機だ。絶体絶命だといってもいい。しかしその切り抜け方は人それぞれだ。泣いてもいいし、ジタバタしてもいい。頼る人がいれば、遠慮することなく人に頼ったほうがいい。大切なのは、自分を心のおもむぬままに振舞うことだ。

  先日、火事の直後から支えて続けてくれた仲間がこんなことをいった。

「河瀬さん、火事を経験して雰囲気が変わりましたね。よく笑うようになったというか、笑顔が多くなりましたね。」

 あの頃、かなりの無理をしていたのだと思う。でも支えてくれた人たちがいて、なんとかやってこれた。あの災禍を乗り越えつつある自分は、今までとは違う何かを手にしたのだと思う。それが何かはわからない。でもそれは案外、悪いものではなさそうだ。 

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