鵜飼なんて退屈...と思っているあなたは、きっとすごく損をしている。
ずっと鵜飼を見たことがなかった。
そもそも岐阜にはご縁が深い。父は岐阜の大垣市で生まれだし、NHKの初任地も岐阜で、柳ヶ瀬を飲み歩いていた。
それでもなぜか鵜飼を見に行くことはなかった。どこか古びていて、観光用のものだと、敬遠していた。
しかしそれはとんでもない誤解だった。
最近、期せずして鵜飼を見る機会に恵まれた。
自然の奥深さ、そして人類の叡智を感じる、素晴らしい体験だった。
感動した。
きっかけを作ってくれたのは、プロデューサーの笹生八穂子さん。
2年前から東京から長良川河畔に移り住み、鵜飼をはじめ、地域の魅力を掘り起こし発信することに取り組んでいる。笹尾さんが地元の人々を集めて開催する「長良塾」という勉強会に、講師として呼んでいただいたのだ。
岐阜を訪れたのは9月初旬。まだ厳しい暑さが残る中だった。
たった2年で岐阜をどんどん掘り下げている笹尾さんは、いい店をたくさん知っている。初日のランチは、「洋食 つばき」。ひろびろとして、気持ちの良い店内で、丁寧に作られた料理をいただく。東京にいると味わうことのない、ゆったりとした時間の流れがとても心地よい。
「東京にいると、大きな仕事を動かして、たくさんお金を稼ごうとしがちだけど、ここにいると別の豊かさがあることに気付かされるんですよ」と、笹尾さんはいう。
そんな笹尾さんが惚れ込んだのが、鵜飼だ。鵜飼の観覧船に乗り、鵜匠さんの話を聞き、どんどんとのめり込んでいき、自分でスポンサーを募って、「ぎふ 長良川の鵜飼」という冊子を作ったり、ポケモンカードならぬ、鵜飼カードをプロデュースし、鵜飼の魅力発信を始めた。
「すごくいいのにちゃんと発信できてないからもったいないなぁと。私が勝手にやってるんだけどね」
鵜飼というのは、およそ1300年の歴史を持つ伝統漁法だ。今は鷹匠などとならび宮内庁の式部職であり、毎年数回、皇室に鮎を献上する。
「鵜飼は、その歴史とか背景を知っておいた方がずっと楽しめます。だからまずは鵜匠さんにお話を聞きにいきましょう」
というわけで、笹尾さんがご紹介してくれたのは、長良川6人の鵜匠のおひとり、山下哲司さん。長良川に面した家は、手入れの行き届いていて、とてもよい空気の流れる場所だった。眺めのよい茶室があり、そこにはかつてあの喜劇王・チャップリンも訪れたことがあるという。
鵜には、川鵜(かわう)と海鵜(うみう)がいるが、鵜飼に使われるのは海鵜(うみう)だ。長良川の鵜匠たちは代々、茨城で捕獲された鵜を使う。自然界での寿命は10年ほどだが、こちらでは20年ほど生きるのだという。
「こんなふうに飼うのは残酷という人もいますが、実はここではとても長生きするんですよ」
育てるときには必ず2羽でペアを組ませる。漁に出る時にカゴにいれるのもこの2羽だ。片方の鵜がなくなってしまうと、もう別の鵜をあてがってもペアにはならない。人間よりもある意味、律儀だ。
鵜は食欲がとても旺盛で、魚ならなんでも飲み込もうとする。「鵜呑み」という言葉はそこから来ている、鵜匠たちは、その習性を利用して漁をする。鵜の喉元を軽く紐でゆわえて、大きな魚だけが喉を通らないようにする。魚が喉元に溜まると吐き出させる。小さな魚は喉元をすぎて、鵜のご飯になる。
ちなみに、うなぎという言葉の語源も、鵜に関係しているという説がある。鵜がうなぎを飲もうとすると、うなぎは飲み込まれまいと喉に巻き付いて必死に抵抗するらしい。苦労することを「難儀する」というが、鵜が難儀する、ということから「うなぎ」という言葉になったという。
「実際に何度かうなぎを飲んだ鵜をみたことあります。うなぎは器用に喉に絡みつくので、ほとんどの場合、鵜は諦めてしまいますね。漁の支障にもなるので、ぼくらが外してしまうこともあります」
鮎を取るには、竿で釣ったり、網を打ったり、といろんな漁法があるが、実はこの鵜飼が最も効率的で、1時間に60匹ほどの魚を1羽が獲ることができるのだという。
山下さんのお話は、知らないことだらけだった。
鵜飼に俄然、興味が湧いてきた。
笹尾さんの娘さん、とうこさんは長良川のほとりでカフェをやっている。&n(アンドン)という、材木倉庫をリノベして作られたコミュニティスペースに隣接する、NOMADO LIFE CAFE。
「お夜食食べにきません?」と笹尾さんからメッセージをもらい、お店にふらっと立ち寄ると、とうこさんがメニューにはない冷やしたぬきを特別に作ってくれた。やさしい味がした。
翌日は、長良塾だ。岐阜を盛り立てたいという人々が集まり、勉強会のようなものを笹尾さんがひらいている。僕が講師を務めるのが6回目の開催だという。この日は30名弱の方が集まった。メディアや教育機関、起業された方などそのバックグラウンドは様々だ。みなさん大変熱心で、質問もたくさん飛び出し、大幅に時間を延長しての盛会となった。。講演終了後、ほぼ全員のみなさんと名刺交換をすることになり、あやうく名刺を切らすところだった。ご清聴いただいたみなさん、本当にありがとうございました。
そしてこの夜が、鵜飼観覧。
笹尾さんが貸切の予約をしてくれ、18時に鵜飼観覧船事務所へ。すべての観覧船はここから出発する。結構、混んでいるので、乗られる場合は、以下のサイトから事前に予約することをおすすめします。ちょうどこれから落鮎のシーズンです。10月初旬まで。
乗船直後は、ちょうどマジックアワー。船からは美しい夕焼けが見える。日中は30度を超える暑さだったが、川の涼やかな風が心地よい。乗船後は、持ち込んだ飲み物と、とうこさん謹製のお弁当をいただきながら、鵜飼が行われる少し上流へと移動する。
船頭さんが、若手に指示をだし、船を進めていく。川上への移動は船外機を使っての移動だが、川を下ったり、船を岸につけるときには、船頭さんが艪をこぎ、竿を捌く。その佇まいがあまりに美しく、何度もシャッターを切る。ユーモアを交えながらの鵜飼の説明も含めて、ひとつのエンターテイメントとして成立している。
お名前をお聞きするのを忘れたのを全力で後悔している。
遊覧船の上で、みんなでおしゃべりをしていると、川上から篝火を焚いた鵜飼の船が近づいてくる。いよいよだ。
「篝火を焚いて、眠っている鮎を慌てさせ、そのタイミングで鵜がパクっていくんですよ」
篝火に使われるのは、赤松と決まっている。油が多くて、雨の日にも消えにくいのがその理由らしい。
鵜匠さんは、手綱を巧みに捌いて鵜を操る。
観覧船とは、それなりに離れているのだが、篝火の熱さを感じる。山下哲司さんは、汗をかくと火の粉が顔についてなかなか取れないことがあると言っていた。なんと過酷な仕事なんだろう。
最後は、鵜舟は観覧船の間近にまでやって岸につける。漁を終えた鵜をかごにしまうためだ。鵜は、かごに入る順番待ちにもペアになって待つ。このとき船の縁にとまり、互いに鳴き声を出し合う。鵜をペアで飼育することを「かたらい」と呼ぶが、これはこのペアでの鳴き合いからきた言葉だという。
観覧船の船頭さんが、鵜匠さんから木箱を渡され、私たちに見せてくれる。今日の収穫だ。
鵜飼で獲れた鮎と、そうでない鮎は、一目見ればすぐにわかる。鵜飼の鮎には必ず、喰み跡がついているからだ。
鵜は鮎を獲るとき、一旦くちばしで加え、鮎を中に放って、必ず頭から飲み込む。魚は後ろには進めないので、一度飲んだ魚に逃げられないようにするためだ。喰み跡は、この鵜の習性によるものなのだ。
およそ2時間。
涼やかな夜風は吹く中、鵜飼観覧を楽しんだ。
1300年続いている鵜飼、その奥深さを目の当たりにした。時の為政者たちが惚れ込み、保護をしてきたというそれは。まぎれもなく超一級のエンターテインメントだった。
鵜飼を終えたあと、どうしても行きたい場所があった。
「割烹 うおそう」
岐阜にいた30年ほど前、2代目の大大将(おおだいしょう)に大変にお世話になった。長良川のこと、鮎のこと、いろんなことを教えてもらった。その大大将は数ヶ月前に亡くなり、今は3代目の大将・よっちゃんが店を切り盛りしていた。よっちゃんとはよく飲み歩いた仲だが、この20年ぐらいは年賀状のやり取りだけが続いていた。
せっかく岐阜に来たのだから、と本来は満席だったのだが、閉店時間を延長して僕らをもてなしてくれた。
この店は、天然の鮎を食べさせてくれる数少ないお店。この日も、鮎の一夜干しや、この店の名物の赤煮などがさっと出てくる。
「河瀬くんに食べて欲しくて、取っといたんよ」
よっちゃんが最後に出してくれたのは、和良川で獲れたという大ぶりの鮎。氷がぎっしりの箱に詰められた鮎は、ぴかぴかしていて神々しくさえある。その後、塩焼きにされた鮎は、涙がでるほど美味しかった。
よっちゃん、本当にありがとう。
1泊2日で鵜飼をめぐる旅。
それは長良川という日本有数の清流で、長きに渡って育まれてきた文化をめぐる旅だった。
これまで、鵜飼をどことなく敬遠してきた自分の見識のなさを深く反省した。同時に、おそらく日本には、まだ僕が触れていない素晴らしい文化が沢山あるのだと考えるとワクワクする。これからは、そうした未踏の場所をもっと貪欲に巡りたい。
そしてまたいつか鵜飼を楽しむために、岐阜を訪れたい。
あなたからのサポート、すごくありがたいです。