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勝つためにやってたの?そうじゃなかった。


「ずっと練習してるのにさ、うまくならないヤツは何のためにテニスやってるのかわかんないよな。」

大学時代にテニス部の先輩(男)に言われたこの一言に、わたしは今でも覚えているほどの怒りをおぼえた。

打ち上げの二次会でよくつかっていた10人くらいしか入れない小さな居酒屋で、酔っ払ってたときにでた一言だった。

その先輩は高校時代にインターハイにでていて、大学でももちろんテニスがうまかったし強かった。そして、わたしの学年の男子はあんまり(というか全然)テニスが強くなかった。(わたしの部活は男女一緒に練習をして飲み会をしていた)

わたしは自分の仲間を侮辱されたような気がして、その一言でその先輩のことが大嫌いになった。(それまでは大好きな先輩だったのに。それは一ヶ月くらい続いたあと、また元には戻った。)


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あの時、仲間を侮辱されて怒っていたと思っていた。けどほんとうは、“自分のことを否定されたと感じて悲しかった”んだと後から気づいた。

そう、わたしもテニスをずっとやっていたのに、全然うまくも強くもならなかったのだ。


『何のためにやってるのかわからない』という言葉を、当時のわたしは『わたしは意味のないことをやっている』と捉えてしまったのだ。迷惑なまでの被害妄想。

あまりのショックに、悲しさを受け止めきれなかったわたしは、怒り狂ってしまったのだった。


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中学校からテニスを始めて大学まで10年続けた。それなのにうまくも強くもならなかったわたしは、大会でももちろん結果なんて残せなかった。(ちなみに大学でもサークルではなくて大会に出たりする部活に入っていた。)

その事実は、大学を卒業して就職して結婚してもなおずっと、わたしの心のどこかにひっかかっていた。というか引きずっていた。

ぜんぜん上達しない自分、結果を残せなかった自分、目的を達成できない自分。


よく、「過去がんばったことが今の自分の自信になった」とかきくけど、“ 過去がんばったのに結果が残せなかった事実” は、何年も先も、わたしから自信を失わせていた。


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わたしがこの事実を自分の中で(やっと)消化できたのは、数年前だ。

私は勝つためにテニスをやっていたんじゃなくて、楽しむためにやっていたんだから、楽しかったんだからそれでいいんじゃないかって思えたのだ。

「成果がでないのは能力ではなく優先順位の違い。優先順位が高いことは成果がでるが、低いことはでない」という考え方に出会えたのも大きかった。

いま考えると『勝つこと』も『うまくなること』もわたしの中では優先順位が低かった。

『みんなで同じことを楽しむこと』『応援すること』『好きなことをやること』の優先順位が高かった。それだけのことなのだ。


わたしは部活が楽しかったし大好きだった。負け続けてもテニスは楽しかったし、みんなでわいわい合宿をしたり、話したり、飲んだりするのも楽しかった。

大会の雰囲気も大好きで、一番好きだったのは準決勝や決勝戦をみていることだった。(自分の仲間が残っていればもちろんがんばって応援した。)


その事実と、思い出で、充分ではないか。


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わかりやすい結果とかじゃない分(そして結果がすべてだと思わされるスポーツの世界だったこともあって)気づくのにずいぶんと時間がかかってしまった。

いまのわたしならあの時の先輩に笑ってこたえることができると思う。


「あはは、楽しいならいいんじゃないんですか」

って。















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