雨が降りそうだ。
これ、いつ書いたのかな?日付も何もないし、わからない。
ひとつわかるのは僕が書いたって事。
いつかわからない日の僕が書きました。
いつも、ごめんね。
己の偏った持論ばっかり好き勝手に繰り広げて。
でもね、違う意見や異なる価値観を否定する気は毛頭ないのよ。
ただ、文字や文章は、一方的なモノになりがちだからさ、こうなってしまうんだな。
逆に言うとさ、例えば、僕が誰かに忖度して書いた文章なんて、僕の文章を読んでくれる人がいてくれたとして、その人に超絶失礼じゃない?
オマエのオマエならではのフローを聴かせてくれよってなるじゃない?
皆さま方が、他の誰でもない川端の川端節を読ませてくれよって言ってると信じて、書かせてもらっています。
だからこその、このスタンスでございます。
いつも、ありがとうございます。
さて。
僕は定期的に、NHKドキュメンタリー的な番組を録画しておき、時間のある時に観ている節がある。
とある日に観た番組の話をしたい。
タイトルは忘れた。
なんか、どこかの国のスラムでこどもが売られて、強制労働をさせられてって話。
そして、毎日、強制労働をさせられているものだから、もちろん学校なんかには行かせてもらえないし、そもそも、勉強すらもさせてもらえない。
こどもたちは、学校に行って、勉強したいって思っているのに。
その強制労働は、なんか池に潜って、何かを取る?採る?捕る?的な。
網を仕掛けている、濁りまくった池に潜るもんだから、たまに網に引っかかって、溺れて死んでしまったりするこどももいるそうだ。
昔の話じゃないよ。現代の話、今の話。
今、地球上のどこかの国で起きている現在進行形の話。
で、そういうこどもたちを救って、ちゃんと教育を受けられる状況を作っている人たちが出てくる。
その人たちも昔、強制労働をさせられていて、だからこそ、今は、そういうこどもたちを一人でも多く救いたいと活動されている。
そのうちの一人の人が、救われたこどもに歩きながら、声をかけていた。
その言葉がすごく印象に残ったので、巻き戻して、メモを取った。
彼はこどもに言う。
「君のやる気をそぐようなことを言ってくるだろう。
そんなのに耳を貸すな
君には未来がある。
君は私より大きなことができるはず
どこから来たかは問題じゃない。
どこを目指すかが大切なんだ。
雨が降りそうだ。」
シビれたなぁ。
この言葉は、今、どんな環境にいようと、頑張ろうと思っている人たち全員にあてはまるだろうし、それは、親がこどもに対して抱く想いにも近い。
深い。
終わりの言葉もいいなぁ。
これ、ほんの日常の風景の中、二人で歩いている時に言ったんだな。
大事な事を言うぞ言うぞ的な値打ちをこいた感じではなく、日常のありふれた時に言った、そのタイミングも最高だった。
言葉が心にすっと入ってくれそうな絶妙なタイミング。
雨が違う雨にかかってそうだなと思えるくらい。
これからも、オマエにいろんな雨が降りかかるかもしれないけれど、負けんなよってね。
いざ、何かを伝えようと思えば思うほど、おとなは構える。
でもさ、おとなが構えたら、こどもも構えるんだよ。
なら、その空気をつくるのはおとなの方だよなって思った。
あーいいもん観させてもらったな。
マジで、NHK ドキュメンタリーは、油断したら、意外とすごいテーマ扱っているからさ、またいつか機会があったら、観てみてよ。
うん、何の話だ?
雨が振りそうだよって話。
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