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メルヘンと会う男~中原中也とわたし~


読書の秋?冬?どっち?

すでに秋を通り越して冬なんじゃないか?と思う寒さを味わいながら執筆している。
世間は「読書の秋」「食欲の秋」・・・など様々な秋でお送りしている世の中だが、もう冬なのでは?と錯覚している。
さてここ最近秋という事もあり久々に読書を始めることにした。とはいえ本当の書籍は読まなくなるとスペース的に邪魔なのでkindleという電子書籍を買った。本と電子書籍、形は違えども内容は同じだろうという考えからだ。


my kindle

人生で初めての読書(ここでは絵本ではなく小説として初めてとする)は、江戸川乱歩作「怪人二十面相」である。
返送の達人である強盗、怪人二十面相と名推理で犯人を導き出す探偵「明智小五郎」のスリルとスピードがある対決に2日ですべて読み終えた。小学4年だった自分は衝撃を受けた。明智小五郎の弟子である小林少年がまたかわいいけど子供なりの頭脳は素晴らしいと思っている。個人的に面白かったのであえてネタバレせずぜひ読んでほしい。

最近は忙しさからか読書をまったくしなかった。読書をしようにもあまり面白いものがなかった。なので疎遠状態となっていた。なので江戸川乱歩しか勝たん!と若者言葉を使い読んでいたが、ある時ふと頭の中でこう思い出したフレーズがあった。

汚れちまつた 悲しみに

中原中也の出会い

NHK「にほんごであそぼ」で狂言師がこのフレーズをかなり言っていたことを思い出した。当時4歳~5歳くらいの自分にとってどんな意味を込められていたのかまったく知らないまんま見ていた。ただこのフレーズだけが頭から離れず、20年以上続いた。
このフレーズなんだっけ?と思いスマホで調べたら「中原中也」がヒットしたのだ。
その時、ちょうどkindleが届いたので中原中也詩集を購入した。そして衝撃を受けた。
それは「春の日の夕暮」の最初の一文だ。

トタンがセンベイ食べて 春の日の夕暮は穏かです

春の日の夕暮

この一文を見たとき、「トタンがせんべい食べるってどういうこと!?」
と驚きを隠せなかった。穏やかなの?こんな春の日!?どうなってるんだ中也!と失礼極まりない理不尽な激怒を見せた。でもそのくらい衝撃的だった。一般的な詩は穏かで恋愛だったら甘めなのに、何を言っているのかさっぱりわからない斬新な詩に心を打たれたのだ。そこが本格的な中也との出会いだ。
読んでいくうちに中也のダダイズムと呼ばれる詩にどんどん引き込まれる自分は中也について調べた。壮絶だった。
詩と出会ったものの医師になれと親の反発から、実家からすぐに家を出る。結婚して子供を授かるが、子供はすぐに病死してしまうい、中也は病んでしまう・・・。まだ全て調べ切れていないし、もしかすると上記の事に関して少し間違っているかもしれない。それでも中也の人生は壮絶だった。でもそこから中也のどこか冷たさが漂う詩がどんどん出来上がっていくのだろうと思う。

自分が好きな詩

中也の詩はいろいろおすすめだ。でも中には1回読んだだけでは解釈が思うようにできないものもある。ここで自分が特に心を惹かれた詩を2つ紹介する。

1つは「月夜の浜辺」だ。中也の発表詩集「在りし日の歌」からある一つである。主人公が満月の夜、浜辺で一人歩いているのを情景として連想される。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
なぜだがそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
  月に向かつてそれは抛れず
  波に向つてそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
指先に沁み、心に沁みた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?

中原中也 月夜の浜辺

小石と一緒に捨てられていたボタン。ただごく普通なボタンだが主人公はそれを拾い、手の平で取り、指先をなぞるように触る。使えそうなボタンをすぐに捨てられるのか。と月とボタンがリンクし、そっとポケットに入れる。そのような情景が私の脳内では浮かぶことができた。

この詩は生まれてすぐ亡くなってしまった子供に捧ぐ詩でもあるとのうわさ?もある。ボタン=子供として、どうして亡くなってしまった=捨てられたというのと、月を天国、海は精霊流しなどの情景からそうとらえることもできるのかもしれない。解釈は十人十色。

もう一つは「雪の宵」 こちらは詩集「秋」からの一つ。
ホテル?旅館の窓から雪が降っている夜の街を見ながら焼酎のお湯割りを飲む。失恋した女などどうしているのか?など思いを重ねながらお酒を飲む。そのまんまの情景が浮かぶ。そちらは最後のあとがきの前にに紹介したい。

中也の詩は温かみのある言葉の中にどこか冷たさがある、まるで今の季節に似ている情景が多い。ここでいう冷たさは本当に冬の情景の冷たさだけではなく、悲しみ、孤独、切なさ・・・主人公の心の中に少しだけ冷たさが漂う形がまたたまらない。まだ自分には知らないtっ裕也の世界があるかもしれないが、ここまではまってしまう世界観は江戸川乱歩に出会った以来の衝撃だったのかもしれない。電車の中だと乗り物酔いしてしまうので、家で焼酎を飲みながら読む中也の世界はたまらないのだ。

青いソフトに降る雪は 過ぎしその手か囁きか 白秋

ホテルの屋根に降る雪は
過ぎしその手か、囁きか

  ふかふか煙突煙吐いて、
  赤い火の粉も刎ね上がる。

今夜み空はまつ暗で、
暗い空だから降る夜は・・・・・・

  ほんに別れたあのをんな
  いまごろどうしてゐるのやら。

ほんにわかれたあのをんな、
いまに帰つてくるのやら

  徐かに私は酒のんで
  悔と悔とに身もそぞろ。

しづかにしづかに酒のんで
いとしもおもひにそそらるる・・・・・・

  ホテルの屋根に降る雪は
  過ぎしその手か、囁きか

ふかふか煙突煙吐いて、
赤い火の粉も刎ね上がる。

中原中也 雪の宵

あとがき

こんな記事が結構見てくださっている方もいてありがたき幸せ。殴り書きで誤変換激しいという口癖で今もお茶を飲みながら過ごしていました。
日曜はお出かけの兼ね合いで2日連続投稿としました。せっかくだから読書の話でも・・・と思い少し中原中也の話をしました。
中也の詩と焼酎は合うのよ。まじで。
ぜひおすすめの本とかあったら教えてください。

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