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自分流「気楽」な生き方

おかげさまでこの記事が5記事目となった。殴り書きのように執筆しているこの日記。
元々、医師のすすめで始めたnote。最初は自分が一体何を書けばいいのかわからずにいた。そんなとき「双極性障害」と共に生活するために考え、自分自身の備忘録のように執筆してきた。誤変換・誤入力が激しいが自分自身の今を伝えていくために、脳内で思いついた文章を殴り書きのように書く。そんなスタンスでお送りしている。

「気楽」ってなんだろう

以前から言うように感情のコントロールがかなり激しいため、鬱状態での仕事では慌てやすくなる。一人の時間が欲しいが仕事にはそんな甘いような世界ではない。慌てすぎたり、失敗すると落ち込みが激しくなったり、すべてのことに関して真面目過ぎる性格(らしい)ため先輩や上司からこう言われる。

気楽にいこう?

自分はなんでもかんでも仕事熱心すぎるから気楽ではない生き方に見えているらしい。実際そうで以前の記事では休みでも仕事のメールを見てしまうほど社畜の血が注がれている。なので上司などそれを見てそう言ったのだろう。
しかし、自分は引っかかったことがある。それは「『気楽』ってなに??」という哲学的なものだった。自分はさらに思い悩んでしまった。その悩みが続いたまんまその日は終わってしまった。帰宅した後もその悩みは消えなかった。そもそも「気楽」ってどういう意味だ?と思い検索した。

「気楽」
心配や苦労がなく、のんびりとしていられること。また、そのさま。
goo辞書より

これを見たとき、のんびりしていられる状態ではないと思った。仕事は仕事なわけだし、家庭では彼女作れなどいろいろ急かされる毎日で逃げれる場所がなかった。自室にいても言われるわけだし。
気楽の言葉に対し反論をする痛い人間。思えば思うほど自分自身むなしくなってしまい、鬱状態に陥った。消えてしまえばいい。気楽に生きたかった。とか思い過呼吸気味になってしまった。幸い(?)その次の日が仕事休みの日で何も考えず布団から出ない一日を過ごした。

気楽に生きる3か条

前回の記事の交流会の前にカウンセリングがあった。その際、気楽に生きる事とはどういうことか?というのを聞いてみた。考えすぎて過呼吸になりましたと言ったら「そこが「気楽」でないということかもしれない」と言われた。そして心理士は気楽に生きるための3か条を教えてくれた。

  1. 自分を責めない、頑張りすぎない

  2. 適度な目標設定を行い、「なんとかなる」精神で

  3. 人見知りなのは仕方ないがSOSなど出したりし、他人に頼る

心理士は言う。「かわさんの障害の場合、躁状態で自分で解決しようとしているため周りが見えないことがある。性格上、超繊細な人なので人と話すことが怖い性格なのは無理ないが、何かあったときにSNSとかで「SOS信号」を発して誰かを声かけるのがいい。まずは「人に頼って」。迷惑だという人がいるならその人とは切ったほうがいい。」

細かいアドバイスもいただいた。ただ心理士は哲学的な質問だから「気楽」という答えがこれで会っているとは限らないと言われた。答えを見つけるのは自分自身だ。交流会の会場の直前までこの3か条からどのように過ごそうか思い悩んでいた。特に「目標設定」を仕事のときどのように設定していこうと考えた。
その後の交流会ではいろいろレポも失敗したが、話せれるところ話せたので何とか満足したが。

3か条から自分が行っていること

頂いた3か条からタスク用の大学ノートをつくった。ここに一日このくらいはやれるという部分を一日のタスクとして書いている。そこから学んだことを項目に結びつくように線を引きメモを取っている。
そこから匙加減などを見て極力時間外を減らしてみるという考え方で試験運用を始めた。まだ始めて間もないから成果はまだ出ていない。

まだ、失敗したことに対してかなり落ち込んでしまうことが出てくる。つい先日も人生からの離脱を考えようとしたほどだ。(直接的に言うといろいろまずいので遠回しよ)
そんな時に誰でもいいからSOS信号出せるところを探している。ただかまってちゃんと思われそうで難しい。難易度高い3か条目である。

とにかく目標設定を適度な範囲で行い、自分のキャパシティを考えている。そこから「気楽」という意味の答えがどこか出てきたら、その答えを自分の生き方の軸の一つとして一歩ずつ過ごしていく。

あとがき

交流会の後絡んでいる人はあまりいないが、今後そのような買いがあったら参加してみるのもありかなとか。
親よ。いい加減彼女作れとかいろいろ急かさないでくれと思いながら、この執筆の後、薬を飲んで寝る。最後にここ最近気に入った詩があったのでそれを紹介して終わります。

秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があつて、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。

陽といつても、まるで珪石か何かのやうで、
非常な個体の粉末のやうで、
さればこそ、さらさらと、
かすかな音を立ててもゐるのでした。

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでゐてくつきりとした
影を落としてゐるのでした。

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもゐなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました・・・・・・
中原中也 「一つのメルヘン」


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