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道に落ちていた動物の糞を踏んだかどうか(強迫性障害の話)

以前、私の強迫性障害がひどかった頃に、道路に落ちていた動物の糞をふんでしまったのではないかという強迫観念にとらわれた時の体験談を書きます。

道路に動物の糞が・・・

ある日、近所のよく通る道を歩いていたときのこと。
ふと振り返って地面を見てみると、今通ってきた道の真ん中に野良猫か何かの糞が落ちていた。
しかもそれには誰かが踏みつけた跡。

自分が今通った道なので当然自分が踏んだ可能性もある。
そう思うと自分の靴の裏を見て、糞が付いてないかどうか確認したいところだったが、一呼吸おいて考えた。

靴の裏というのはたいていは多少の汚れくらいは付いているものだ。何度も履いている靴なのだから真っ白ということはまずないだろう。
つまり今靴の裏を見たらおそらく何らかの汚れくらいは付いている可能性が高い。
明らかに「これはそこに落ちている糞を踏んで付いたものだ」と分かるような汚れは別として、ちょっと土が付いていたり、黒くなっているところを発見したとき、今の自分はその汚れが糞ではないという確信を得ることができるだろうか?
おそらくできない。そうなってしまったときにその強迫観念に勝てるかどうか自信がない。
「もしかするとこれは糞かもしれない」という強迫観念にとらわれて靴をしつこく洗うハメになるだろう。
そうなったとしたら本当に面倒だし、そんなことになるくらいならこのまま見て見ぬふりをしていたほうがまだマシだ。

そう思った私は靴の裏を確認するのはやめておくことにした。
とりあえずそこから家までの道では、靴の裏をわざと道路に擦り付けるようなおかしな歩き方をすることにはなったが・・・とりあえずそれだけで済んだ。

家の玄関で起きた二つ目の強迫観念

家に着く頃には靴の裏が気になる気持ちも多少落ち着いてきていたのだが、第二の試練は靴を脱ぐ時にやってきた。
家の玄関には姿見の大きな鏡がおいてある。靴を脱ぐときにたまたまその鏡を見た。

私はスニーカーを脱ぐときはいつも手を使わずに両足のかかとのあたりをこすりつけるようにして脱ぐ。玄関の鏡には、スニーカーの外側に靴下が触れているのが写っていた。
しかし靴の裏に触れたわけではなくて、あくまで側面(インサイド側のかかと付近)である。

もし糞を踏んでいた場合、スニーカーの端っこあたりで踏んづけてしまってぐにゅっとなった糞がスニーカーの側面にまで付着するということはないだろうか?

という考えが湧いてきた。
そしてそれが靴下についてしまったという強迫観念。

OCDの聖域が汚れるという恐怖

家の中は自分にとって【OCDにおける聖域】のような場所となっているので、そのような汚れが持ち込まれるのは耐えられない。
すぐに靴下は脱いだのだが、靴下は薄い布なので、それに染み込んだ汚れが素足のかかとあたりにも汚れが付いてしまったという強迫観念が残った。

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足を洗おうか、ウェットティッシュなどで拭こうかと迷ったが、そのように自分でも【明らかにやりすぎ】と思える強迫行為までしてしまうことにも抵抗を感じ、なんとか思いとどまった。

しかし自分のかかとが汚れているという思いが頭から離れない。
その足で家の中を歩いたり室内用のスリッパを履いたりすることは本当に気持ちが悪かった。
だが、もうあきらめて家中野良猫の糞まみれになってもその上でゴロゴロと寝てやろうという気持ちでわざと絨毯の上などを歩き回った。

強迫観念は不思議なほどあっさり消える

歩き回っていてもしばらくは気持ち悪いままの嫌な気分だったが、それから数時間後にはそのことを思い出してもまったく気持ち悪さを感じなくなった。

実際に野良猫の糞を踏んだのかどうか、靴下についたのかどうか、本当のところがはっきりと分かったわけではない。
しかし、それについてはっきり白黒つけようという気にもならない
踏んでないという確信があるわけでもなく、踏んでいても気にしないという気持ちが固まったという感じでもない。
だが、正直どちらでもいいというか、とにかく不思議なほど【なんとも思わない】のだ。

強迫観念がおきているときは、その恐れや不安がずっと長い間(下手すると一生)続くような気がしてしまうものだ。
しかし大抵は数時間も経てば嘘のように消えて無くなる(その強迫観念の内容にもよるが)。
記憶がなくなるのではなく、強迫観念というおかしな思考(感情?)だけがなくなるのだ。

実に不思議なものでございます。
おしまい。

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