美しい早朝に

浅い眠りがうっすらと途切れ、時計を見ると4時であった。
厠へ立てば、初夏も過ぎた時分の東の空は既に明るい。
光に誘われ、玄関の扉を開けてみる。

早朝だけの透き通った空気。
雲が前日の強風にかき回され、いく筋も段を違えるようにしてのびている。
熱を放つ前の太陽の光が、その雲の間から金色に漏れ輝いている。神々しい。
早朝の静かな香りを胸いっぱい二度吸い込み、扉をしめた。

何となくまた布団に戻り横になる。
勝手に、昔のことが思い出されてきた。
小学生の自分が働いた悪どい記憶である。

友人の家に遊びに行った時のこと。
もう一人来ていた友人と私がつるんで、遊びに行った家の子を仲間外れにした。仲直りしてと困り顔で言ってくるその子に、私たちは「家から食パンを持って来たら許してやってもいい」と言った。その子は言われた通り食パンを持って来た。じゃあしょうがないという具合で食パンを食べて終わったような気がするが、その後楽しく遊べたか記憶は定かでない。あまり好きな友人ではなかったが、嫌な後味だけが残っている。

次にもう一つ思い起こされた。
今度は友人二人が私の家に遊びに来た時のことだ。その内の一人の子と、私は特に仲良しだった。それなのに、あろうことか私はもう一人の子とつるみその子を自転車で置いてきぼりにして、仲間外れにした。その子は泣きながら、迎えに来た親の車に乗って帰って行った。
その子は心優しく人一倍正義感が強かった。友達を作ることに興味がなく一人ポツネンとしている私に声をかけてきてくれて、仲良くなった。
この時は後日こちらから詫びて仲直りした。けれど結局、私の我儘のせいでその友情は失ってしまった。もっと後の話である。

好んで波風を立てる性分であったか、嫌な思いをする必要など全くないはずの相手、ましてや互いの友情を喜んでいたはずの心優しい相手を、私は訳もなく傷付けた。
これを思い出す度、私は自分に巣食う不条理と暴力を思い知る。

それらを自覚する出来事なら、何の自慢にもならないが、他にもある。
けれど、この記憶は、自分という人間の根源的な行動として、真っ直ぐ、ピュアに私を内省に向かわせる。
非の打ち所がなく私が悪い、あまりに理不尽な行為だった、と。
謝ったとて、つけた傷は辿ればいつでも傷として蘇る。
そんな傷を、私は、産んだのだ。

神々しい光にあてられたせいか、そんな記憶が自然と出てきた。

根源的な心の闇が、光に対抗を示したのかもしれない。

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