見出し画像

映画 『PLAN75』 -親の人生, 私の人生-

映画館へ観に行こうか悩み、結局行かなかった作品の一つ。
自死とは別の、”自分で死に時を決める”という事については、常々考えているテーマでもあり、この作品の内容が気になっていた。


75歳以上であれば、安楽死を選択する事が出来るという、国の新たな制度。
高齢化が進む現代において、「75歳」という年齢設定や、申し込むと支給される手当の「10万円」という絶妙な金額、制度を促進するための宣伝映像の胡散臭い前向きな台詞など、結構リアリティがあるように感じた。
身体が元気だとしても、自立した生活を続けていくには、仕事や住居を探す際に”年齢”が弊害となるのは事実。
それは「75歳」という数字がまだリアルではない私にも、いずれ否応なく立ちはだかる未来だろう。


もしもこの制度が、今現実にあるとしたら・・・


難病によって身体が不自由になり、生きることに疲れている様子の母は、PLAN75に申し込むかもしれない。
そんなことを考えながら終始観ていた。
大好きだった料理もお菓子作りもしなくなり、とても綺麗だった字は、弱々しく震えている。お喋りが好きなのに、口が思うように回らない。
当たり前に出来ていた事がままならなくなるのは、年齢に関係なく辛い。
ただ風邪を引いて寝込んでいる時でさえ、気持ちが落ちてしまうのに、治らない病気と向き合い・付き合い続けるには忍耐も必要だ。
そうまでしてでも、果たして、生きたいと思っているか・・・。

父はどうだろうか。
運動を続けてきた父の筋力は、きっと年齢に対する平均値よりも高いだろう。
体力が多少落ちてきたとはいえ、身体の動きはまだ自由がきく。
思考力も日々の新聞や読書などで鍛えられているのか、会話をしていても衰えは然程感じない。
けれど、何かに生きがいを見出している様子もない。
母の生活を手助けしながら、この先は成るようにしか成らないと思っているように見える。
ただ淡々と、時間に身を委ねているような。
だからきっと、父は自ら終わりにする選択はしないと思う。


母はPLAN75に申し込むかもしれないと思うのも、父は申し込まないだろうと思うのも、自分がそれぞれの立場だったら、そうするだろうと”今”思っているだけで、当人の心情は分からないし、実際に自分が当人にならなければ、その時の気持ちなんて知りようがない。
親は親で、子は子で、生きるだけで精一杯だ。
どうして「ただ生きること」が容易ではない世の中なのか・・・それを語り出すと眠れなくなりそうなので、映画を観ての感想はこの辺で。



プラン ナナジュウゴ
もしも、年齢の縛りを解除したら・・・


この記事が参加している募集

#映画感想文

68,047件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?