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私といなりちゃん(エイズキャリアの猫)の話


うちで飼っている猫のいなちゃん(いなり 享年4歳)は、エイズキャリアだ。
保護猫カフェでもらってきた、半長毛のキジ白で身体は小さく、華奢な子だった。
昨年2019年から一緒に暮らしはじめ、今年2020年2月にエイズを発症。
闘病生活はほとんどなく、発症後すぐに……遠くへ行ってしまった。
たった一年しか一緒にいられなかったけれど、とんでもなく可愛く、優しい甘えん坊で愛くるしかった彼女のことを、忘れないように書きたいと思う。

いなちゃんについて

彼女は、エイズキャリア専門の保護猫カフェに居た子で、元から膝が大好きな猫だった。初めて行った時、私の膝に乗ってくれたのが出会いだ。カフェの店員さんいわく、大人しい女の子で手入れもさせてくれるというお墨付きを貰い、我が家にやってきた。

私にとって、いなちゃんは初めての猫。
当時猫を飼ったことのなかった私は、犬よりも気ままで自由に生きている、猫というのはそんなイメージだった。
犬が共生というならば、猫は同じ空間に共存する。基本的に構い過ぎちゃいけないし、猫にあわせた接し方をする……そんな風に飼うものだと思っていた。
実際、夫が実家で昔飼っていたという猫は二代ともそうだったらしい。
基本的に触れられず、猫に合わせて触ることが許可される……気位の高いお嬢様といったところ。


ところがいなちゃんは、そういう想像しやすい猫のイメージを真逆でいく子だった。
ともかく構ってほしがり、膝に乗りたがり、ところ構わずザリザリの舌でなめ回す。
布団に入って一緒に寝るし、足下にはいつもつきまとう。
いつもいつもご機嫌で、にゃんにゃんゴロゴロ言いながら顔をすりつける。
そんなとんでもなく甘えん坊で、構ってほしがりで、そして何より本当に優しい人懐こい子だった。

常に足下にまとわりつくので、何度かしっぽを踏んでしまったことがあったけれど怒ることはなく、ただ『 にゃーん!(痛ーい)』と言うだけ。
撫でればすぐにご機嫌に戻る、いい子だった。
爪とぎもキャットタワーでしかせず、唯一困ったところがあるとすればトイレだけ。
ただそれも大したことでは無かった。

唯一、いちばんの悩み

手のかからない子ではあったけれど、唯一本当に悩んでいたのは食の細さだった。
いなちゃんはともかく小柄で華奢。成猫なのに2.6kg程しかなく、あごはとても小さかった。
ともかく食べない。と言うより興味が無い。それよりかまって欲しい、という性格だった。ご飯を食べるときは、撫でてあげて声をかけてあげるとようやく食べるような子だった。

私は、そんないなちゃんが、可愛くて可愛くて仕方なかった。溺愛なんてもんじゃないくらい、文字通り猫可愛がりしていた。
特に妊娠している時、不安定になる私のそばを離れず寄り添ってくれたことは、どれだけ助けられたことか計り知れない。
産休に入ってからは、朝から晩までともかくベッタリ一緒だった。

最も幸福な時期


それからというもの、いなちゃんの変化は分かりやすかった。元々フワフワの毛は、さらにツヤツヤになり、それはそれは美しい猫になった。後ろ姿だけならブランド猫と変わらないくらいだった。特にしっぽや耳の当たりは、ノルウェージャンフォレストキャットに似てたと思う。

そうなると分かりやすいもので、スマホの写真はいなちゃんで一杯になり、Twitterは猫可愛いしか書かなくなった。
いつでもどこでも、いなちゃんかわいい、猫可愛いばかりの親ばかの誕生である。

だからこそ、思う。
もし、このままずっとこの生活を続けていたのなら。
きっとまだ、いなちゃんは私の近くにいたんじゃないかなと。

事態の急変は突然にやってきた。

月日が流れ、子供が産まれ、私が里帰りで一ヶ月の留守になってから事態が一変することになる。
いなちゃんにとって、最高だった毎日誰かと一緒…の環境が無くなってしまったからだ。

構ってくれる私が里帰りで居なくなり、朝と晩だけ夫が世話をする。夫にも当然いなちゃんは懐いていたけれど、べったりが大好きだったいなちゃんにとって、寂しい毎日になってしまった。
それからご飯を食べなくなり、2.6kgくらいあった身体は2.4kgまでやせてしまい、カリカリを食べれなくなった。その当時、夫も育休を取ため、仕事が忙しかったこともあって深夜の帰りという日々で、夜一緒に寝るのが精一杯だった。
結局、私が戻ったのは1ヶ月後で、それからは出来るだけいなちゃんを構いつつ子育てをしていた。

とはいえ、どうしても生まれたての子を優先する時間は出てきてしまう。常にいなちゃんだけを構えなくなってしまった。
それでも人がいて、抱っこしてもらえる環境に戻りいなちゃんは、ご飯を食べるようにはなった。ただ元々食が細いと言うこともあり体重が中々増えなかった。
それが結局、尾を引くことになってしまう。

子供に対して

子供がしっぽをつかんでも怒らず、あやしてくれる優しい性格は変わらなかった。妹を見るかのように添い寝し、子供にもゴロゴロのどを鳴らしてくれていた。
授乳クッションに一緒に乗り、添い寝する姿は可愛く愛しかった。

エイズ発症のトリガー

少しずつゆっくり一進一退を繰り返しながら、体重は増えいった……そんな矢先、19年10月にあった巨大な台風のせいでアパートが壊れてしまった。そう、エイズ発症のきっかけは、引っ越しだった。

ただでさえ痩せていた所に、更なる環境の変化という負荷。
しかも引越し作業と子供の成長で、構って貰えない時間が増え、知らない人が出入りを繰り返す。
それが小さないなちゃんにとって、どれだけの負担だったのか。
それでも彼女は優しく、やっぱり甘えん坊だった。

そして2020年1月。年明け早々に住み慣れた家を引っ越し、新しくも狭い家になったとき。
いなちゃんの様子が少しずつ、おかしくなっていった。

いつもはどこへ行くにも着いてきたのに寝ていることが多くなり、おもらしが増えた。
大好きだったブラッシングをいやがるようになり、膝に乗らなくなった。

そして病院に行き診断されたのは貧血。それも極度の。
できるだけ貧血改善の薬をあげたり、餌も食べられるものに変えたりとしていったけれど、身が持たなかった。
華奢な身体は、点滴すらも効果をなさなかった。もう限界だったんだと思う。
そして2月8日。私の腕の中で、最後まで呼び声に答えるように小さく鳴いてから、遠くへ旅立ってしまった。小さな身体は、2.2kgまで減ってしまっていた。
どれだけ泣いても悔やんでも、悔やみきれない。

もし、たとえば私が里帰りをしなければ……
もし、産休中にもっと太らせておけば……
もし、あの台風さえ来なければ……
今でも、それらを考えては激しい後悔に苛まれる。

いなちゃんのエイズ発症は、里帰りや仕事の激務、引越しからのストレスだと思う。
いくつものもしも、を想像しては今でも泣いてしまう。

エイズキャリアとわかった上で引き取ったのも事実。
だからいつ発症するか、なんてわからない。
それは受け取ったときに覚悟していたけれど、本当の意味では理解してなかった。

毎月増えていたいなちゃんの写真が増えない。
去年の春、いなちゃんと過ごしたのに今年は過ごせない。
その事実が、やっぱり今もつらくて悲しくて受け止められない。
四十九日がすぎて、ようやく振り返られるようになったけれど。
それでもまだ、思い出しては悔やんで泣いて。
遺骨を少し入れたネックレスを握りしめてしまう。
書けば書くだけ後悔と会いたい気持ちで一杯になるし、区切りもつかない。

もっともっと子供が産まれてからも、構ってあげれば良かった。
いなちゃんに、会いたい。

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