私とこなぎちゃんのこと
こなぎちゃんとの暮らし
コザクラインコのこなぎちゃんとは、12年一緒に暮らしている。
2008年頃に、先代のセキセイインコを亡くしてからの付き合いだ。
ゆとりを地でいく性格で、飛ぶことを極力避けており、基本的に徒歩を好む。
ジャンプもしないし、高い場所へ行くときは私を呼ぶ。
ゲージも変えるたびに広くしているけれど、高くなりハシゴを用意しないと下に行けないので泣きわめく。
何度、飛ぼうよと言ったことか……
当然、そんな性格なので筋力は衰え、飛ぶ力は当然もう持っていない。
それでも手乗りだったから良かったものの、ここ8年ほどは手乗りでもなくなった。
東日本大震災の影響だ。
あの日、神奈川に住んでいた私の実家もその災害に見舞われた。
幸いにして、家は無事だったものの、こなぎちゃんの入っていたゲージは棚から落ちてしまっていた。
会社がその震災によってガス漏れしてしまい、泊まることのできなかった私は直属の上司と一緒に歩いて上司の家まで帰り、上司の家から車で自宅まで送ってもらった。
その間、ゲージはずっと落ちたままだった。
そこから、ゲージの外に出ることを怖がるようになってしまった。
ゲージに手を入れて上げれば大人しく撫でられるものの、自ら外に出てきたりはしなくなった。
ともかく外が怖い、そんな印象だった。
この記事を書いていた矢先。
先日のこと、こなぎちゃんがついに旅立ってしまった。
5月18日の朝の出来事だった。いつもと違う鳴き方をして、床に座っていた。
ああ、最後だと直感した。6歳になるころから、これまで4羽くらいの鳥を看取ってきた。
もうこれは終わりの時、こなぎちゃんが自分を終える時だとわかった。
そっと手に乗せて、最後の最後に優しく鳴いてその生命を終えた。
12年も一緒にいたこなぎちゃんは、変わらず小さくて暖かくて、日向の匂いがした。
私が学生を終えて社会人となり、結婚し、出産をきっかけに仕事を休業し、これから復帰をする。
その一連の流れをすべて、間近に見て過ごしてきた年月だ。12年。
決して短い時間ではないと思う。夫よりも長い付き合い。
やれることはたくさんしてあげたし、後悔はしてない。やり残したことはない。
でも、やっぱり寂しい。
実家で一人暮らしをするときになった時も、家を出て二人で暮らすことが決まった時も
離れずに常に一緒で連れてきた子だったから。
いない日常を考えられないくらいの子。
もちろん年齢的なことや、引っ越しが重なったこともあった。
だから寝ている時間は増えていたけれど、餌を食べる量は変わらなかったし、水も飲んでいた。
いつも機嫌よく大きな声で鳴いていて、羽だってつやつやだったのに。
今年は失うものが多くて、前を向くことがしんどい。
どうしてこんな風に、いなくなってしまうんだろう。