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第5回 コミュニティの拡大プラン

これまで何度も書いてきたように、僕は生まれ故郷である実家の土地で、新しいコミュニティを作りたいと考えてきた。それは4棟の平屋賃貸住宅「AWAZUKU HOUSE」を建て、そこに地域外から新しい住人を迎えて、一つの形を作ることができた。その流れを拡張して、より大きなコミュニティをつくりたいと考えた。

一つは、集合住宅を建設し新たな住人を迎え入れ、集合住宅(コレクティブハウス)住人の新しいコミュニティをつくること。ふたつめに、その新住人と既存AH住人も合わせた拡大コミュニティ(AWAZUKU住人コミュニティと仮に呼ぶ)を作ること。三つ目は、近隣住民も集まって交流できる場を作ること。四つめは、地域外からも人を呼び、そこで地域の人々との交流の機会をつくること。

文化の喪失を感じて

なぜ、僕はこんなことを考え始めたのだろうか。このエリアは決して人口減少地帯ではない。そこそこ産業もあり、人口は微増だと思う。だから、「さびれゆく故郷の再生を願って」という心境ではない。ただ、僕が住んでいた子供時代とは環境が大きく変わってしまった。道路や住宅は増えて、表面的な活気は増したかもしれない。だが、それはどこにでもある、普通の地方の町になったに過ぎない。かつては、自然も豊富で田畑も多く、住人同士の交流もさかんだった。独自の祭礼や催事も行われ、地味だが確実にコミュニティは存在したが、それが年々消失していくようにも感じた。新しく建つ家も、どこにでもあるハウスメーカー風のものばかりで、正直風景を醜くしているように感じた。仕方がないことではあるが、記憶の中の故郷がどんどん失われ、醜くなっていった。一言で表現すれば、元来その土地が持っていた「文化」が、効率重視の風潮の中で削り取られて、平板なのっぺらぼうの街になっていったように感じたのだ。これは、あくまで僕の主観だが。

昔の風景や人のつながりを復元することは不可能だし、そもそもそんなことはしたくない。それよりも、かつてその土地が持っていた「文化」の根っこのようなものを掘り起こし、それを活かした新しい「文化」を生み出したいと思った。(文化といっても、音楽ホールを建設するとかいうことではない。念のため)合理的には説明できないが、なぜかそれは実現可能に思えた。それだけの根っこはあるはずだと。ずっと外にいたからこそ、見えるものがある。

新しい文化は、コミュニティ内での人々の交流の中から生まれる。だからコミュニティが必要なのだ。安易かもしれないが、コミュニティには器が必要で、それに相応しい建物を作りたいと考えている。

コミュニティを拡大するための器

話を冒頭のコミュニティ拡大のプランに戻そう。三つめのコミュニティ形成プランは、敷地内にカフェを設けることだ。AWAZUKU住人と地域内外の人々とが、そこで自然に交わることができればと思う。

四つめのプランは、民泊やリモートワーク拠点をつくり、域外からの滞在者をよびこむこと。文化の異なる人々との接点が増えれば、地域内の人びとへの刺激となるだろう。刺激が文化の種になりうる。

以上の四つのコミュニティづくりの拠点となる建物群を構想している。それを仮にAWAZUKU TERRACEプロジェクトと呼ぶことにしよう。(「代官山ヒルサイドテラス」にあやかって・・・)

限られた敷地に中で、どうやってこれらを実現すればいいのだろうか。


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