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1987年2~3月 初海外はドイツふたり旅 01

【まとめ】初旅行は、西ドイツと決まる。往復航空券だけ買って、連れの友人K(西ドイツ二回目)と、乗り込んだのはソ連のアエロフロート。
乗り継ぎの関係で、記念すべき初海外の宿泊は凍てつく真冬のモスクワと相成る。まずは暖かいお布団までの、苦難の道のり。翌日は無事にドイツに到着できるのか??

2月26日(木)

成田出発


13:00 ソ連の誇るアエロフロート航空・イリューシンかツボレフかは不明、にて成田空港を出発。

二つ折りの機内食案内。裏に落書きしてる
どこかのタイミングでランチとディナーをいただいたらしい。
酒は飲まなかったなあ、残念

17:30(日本時間23:30) モスクワ・シェレメチヴァ空港に無事、到着した。
ここからが、暖かいねぐらへの長い戦いの始まりだった。

・transitは降りるよう、スチュワーデスの指示がある
・「そのままromaへ」「モスクワ一泊」に振り分け。私たちはモスクワ組
・通路を抜け、搭乗券を預けて代わりに黄色い(ボーディング)チケットを渡される。

空港内はなんだか暗い。照明をだいぶしぶっているのか、元々照明という物がないのか?店も見当たらない。施設のあちこちに、軍服なのかカーキ色の制帽制服といういでたちの若者が立っている。みな、するどい目つき(のように見える)そして、若い、更に、かっこいい。
後で聞くところによると、KGBといううわさも。さすが国際空港、国の玄関は粒揃い。
・ゲート21へ。パスポート提示と金属探知。
・transit roomへいったん連れて行かれたが、再びゲート21へ。外にでるため、パスポート提示。搭乗券を返してよこす。
・階段を下りて出口前。パスポートとボーディングチケットを預け、えび茶色の仮パスをもらう。目的地を聞かれる。
・バスに乗って空港近くのホテルへ。バスは真ん中がジャバラでつながった2連バスで椅子はない。みな立ち乗り。

外は凍てついていて、空気は冷たいというより、痛い。帽子がないと脳みそが凍りそう。どこの国の人か、金髪で腕毛モジャモジャのお兄さんは、黒い革のベスト一丁だった。でも元気に振舞っていた。心の中では泣いていただろう。

ホテル横にてバスから降りたあたりは、なぜか便所臭い。この寒さでこれだけ匂えば、夏は倒れる人もでるかも。
中に入る時、行き先によってホールが分かれる。ホールにはTVがついており、ロックをやっていた。
西側の軍服を着たお兄さんたちは大喜び。暫くしたら、係の人がやってきてチャンネルを替えてしまった。今度の番組はミサイルの発射風景と、「Europe says "no"」とか言うナレーション。
お兄さんたちは鼻白んでTVから離れていった。友人Kいわく、お兄さんたちNATO軍関係の人たちで、やってる番組はミサイル削減のCMだったらしい、と。

・受付に名簿をもった人が現れ、2人一組で鍵を取りに来るよう指示あり。Kと2人組だったのですぐ鍵をもらう。一人旅、奇数組の人々はあわてて相手を探していた。

20:30 これでようやく部屋に落ち着いた。
バスルームのお湯は出ない。小さいゴキブリがいた。
が、洗面所の水は冷たくておいしそう。喉がかわいていたが、少し心配になって、案内の人に「水は飲めますか」と聞いてしまった。笑って「yes」と答えていた。
布団は、日本の団体専用旅館の払い下げだろうか。赤い花柄。
ラジオは音量つまみのみで、周波数を合わせるダイヤルはない。

疲れていたので、とてもぐっすりと眠る。枕が替わっても7分以内で眠れるタイプで助かった。

2月27日(金)
6:50 ノックの音で目覚める。案内の女性(これも美形)が"Your bus will start at 7:20."と起こしに来る。

・ 待合室(ロビー)で人数チェック。・ 仮パスを見せてバスに乗り、空港へ。
・ 空港の階段を上り、航空券を見せる。(クーポンを切る)
・ 仮パスポート、搭乗券を見せる。
・ 仮パスと本物とを取り替える。返してもらえて心底ほっとする。
・ 金属探知(いい加減。動いていたのかも疑問)
・ 空港内レストランで朝食。係員の指示のまま、流れるように手続きを済ませていく。

昨日の仮入国よりはよほどスムーズ。出て行ってもらえてたいそううれしいのだろう。

空港内のレストラン。期待の朝食は黒パン、フランスパン、バター、チーズ、ハム薄切り、ゆで卵2個、マーマレード、コーヒー。ゆで卵は黄身の色が薄い。
パリに行く、という日本人の女性と、空港内の係員がかっこいい、という話で盛り上がる。
空港内でスズメがさえずり、飛び交っている。そのうちに、案内板に我々の行き先「Frankfult」の表示が。

・ 案内板を見て、ゲート15へ。券を見せ、荷物チェック。
・ようやく搭乗。

10:05 いよいよ、本当の目的地に向かって飛行機は飛び立った。
飲み物にレモネードが出る。
昼の食事は、赤い蕪(ビート、漬物のような味)とサヤインゲンの付け合せ、ブロイルしたのは多分チキン。イクラのレモン添え。丸いパン、黒パン、ケーキ、オレンジ、バター、紅茶。
素朴な味わいで、みんなすんなりと胃におさまる。

ドイツ語初心者の私は、単語帳にびっしり書いたドイツ語をひとり、ぶつぶついいながら練習してる。(今更すな!!)
隣では、ドイツ語学習歴4年になるKが、「今の発音、も1回やってみて~」と人をそそのかして発音させては、げらげら笑っている。失礼なやっちゃ!と、思ったら、背後ろからも笑い声。振り向くと、あの軍人兄ちゃん連中が、隙間から人の単語帳みては「ホラホラ、とりにく、だって」「ぶたにく、だって。たまご、だって」などと、茶々を入れていたらしい。
そう!私の単語帳にはとにかく食べ物関連の単語が多い。

こんな感じで8割は食べ物関連

しかし皆失礼なやつらめ、と私はただいっしんに
「おたーくの、おすす~め、おろーりは、なんれすかあ」
と繰り返し、練習していたのであった。
まあ、けっこう恥ずかしいかも。でも食べるのだいじ。

14:00頃、ようやくフランクフルトマイン空港に着く。
初の景色は霧だらけ。雪が少し残っている。タラップを降り、2連バスで入り口に向かう。パスポートを見せたのは1回か2回。
簡単に、行き先などを聞かれるだけ。荷物の検査もなし。
ソ連との違いに、肩透かしをくわされた感じだった。
Kは一回目はツアーだったものの西ドイツ二回目とあって、
「普通、こんなもんだよ」となれたものだった(彼女が以前乗ったのはルフトハンザだった)。

寒い国から来たって格好の人たちがバッグを待っている

スーツケースをとりにいく。ここで、シェレメチヴァ空港で一緒に朝食をとった彼女と別れる。
「また、どこかで会いましょうね!」さわやかに手を振って彼女は、長い髪なびかせ、パリへと去っていった。
再び、その彼女に出会ったのは数十分後、空港駅の改札近くだった。
にこやかに語りかけてきた彼女「あーよかった。パリへ行くのって、こっちでいいのかしらん?」
Kが案内してやるのを横目でみながら、私たちみんな無事に旅できるのだろうか、と、改めて不安が脳裏をかすめた。
でも、単語帳があればとりあえず食うのには困らなさそう。

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