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1988年12月 会社の面子でスキーツアー断片のみ

【まとめと言い訳】3月にバイト入社した会社の数人と、よくあるスキーバス車中1泊宿2泊で志賀高原に。
スキーは数年前に学校の授業の一環でやはり泊まりのスキー合宿に参加したことがあり、一通りは滑ることができた。服は友人から借り、用具は全て現地レンタルだった。
こちらはびっくりするくらい写真がなくて、しかも行きのバス内で寝ている周囲、みえた景色の切れ端くらいしかイラストも残っていなかった。
しかも、当時のスケジュール帳をみると、出発の前々日まで3日間、風邪で高熱を出して寝込んでいたらしい。
よって、いや、なぜだろうかとにかくスキー旅のほとんどの記憶が飛んでいるので、とりあえず当時のイラストと簡単な説明のみ。
ヘッダーは志賀高原スキー場のどこかをお借りしました。ありがとうございます。
あっ、基本じぶん、スポーツ音痴です。

12月27日(火)
朝、友人Yちゃん宅に寄ってスキーウェアを一式借りる。
夜だったと思うが、静岡駅近くからツアーバスで出発。
会社の仲間は何人いたのか、少なくとも4人以上は、いたよな……

熟睡する友人A
同じく友人B


ルートは当時山梨県身延町にあった相又峡ドライブインでトイレ休憩(寝ていたのを起きてブルブルしながら外に出た。レストランや売店、旧式なトイレ施設があった。2024年現在も廃墟として有名らしい。確かに今でも、脇を通るたびに残された建物をまじまじと眺めてしまうくらい、廃墟感がすごい)、目的地近くの湯田中ドライブインを経由して志賀高原スキー場に到着した、らしい。
(夜間瀬川、湯田中ドライブイン、中野市、長野市(アップルライン)、国道18川瀬、国道141佐久市、野辺山スキー場、というメモだけ残っていた。行ったわけではなく見かけた看板なども入っていたとおもう)。

長野の雪山がとにかくもの珍しかったらしい

バスには他のお客さんも数組乗っていた。たまたま親子4人で乗っていた中の少年を前職の関係で知っていた(向こうはほとんどこちらを知らなかったと思うので挨拶はしなかった)のでけっこう気になってチラ見していた。彼のいる中学校でけっこう有名な秀才少年だった。お姉ちゃんもいたが、メチャかわいかった。絵に描いたような家族。お医者さま一家だったよな、たぶん。

熟睡する少年。スキーバスは寝るのがしごとだからね

12月28日(水) 朝には志賀高原に着く。

スキー場までの路も雪! とにかく雪が珍しい人種。

場所の名が列記されているだけで内容が不明。丸池、蓮池、一の瀬、タンネの森、ジャイアント、ダイヤモンド、焼額山。
全部行ったのかどうかも。

インストラクターの若い先生がいたような記憶と、リフトに乗った時、隣に座ったおじさんがかなりベテラン感があって、どこそこはお勧めだよ、ここに気をつけて、と色々教えてくださった記憶が。降り際にお礼を言おうと思ってみたら、すでにおじさんの姿がない。降りるのに失敗してリフトから滑り落ちていたのでした。ケガはないようで良かった。

レストランがなんとなく風通しのよい感じ、つうか外の風がけっこう入って来て寒い、のだが暖房も強くて寒暖ぶつかり合ってる。
テーブルにある粉唐がらしを靴の先に入れると足が冷えない、と聞いたけどそんなことしたら食堂は破産するのでは……とちょっとびびって入れられなかった。

12月29日(木)

とにかく朝から夕方まで滑りまくる。当時はスノーボードはほとんど見なかったと思う。

同僚はそれなりに滑れる人が何人かいて、すぐに中級上級のコースに行きたがる。ついていける限りついて行ったが、学校の授業で4日習っただけの初心者、かなり疲れました。楽しかったけど。

二夜目にはもう足がパンパンで、マッサージ上手の友人にふくらはぎを揉んでもらったよ……ほんとありがとうございました。

12月30日(金)

お天気にはずっと恵まれて、雪質も申し分なく、ほとんどトラブルもなく前日まで滑りまくってこの日は多分午前中にはツアーバスで帰る。
たぶんまた、ぐーすか寝ていたと思うよ。

スキー旅の写真が一枚もないのは、どうしてなんだろう?
まあみんな滑るの一生けんめいだったからねー。

2024年夏現在では、それからの人生であと一度だけ、日帰りスキーに行ったきり。
スケボーなんて、人が乗って滑るなんてもうね。
スキーについては、基本さえ学べばそこまで難しくはないし、青い空の下、冷たい空気を切り裂いて滑り降りる快感は何ものにも代えがたい…んだけど、やっぱり自分にはあまり向いてないスポーツかも、と急に我に返ったのでした。

今回はこれでおしまい!

行きの予想進路。帰りもここを戻ったんじゃね?
それにしてもけっこうな強行軍だったね……

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