見出し画像

1990年1月 ハワイにありがちな社員旅行の記 02

【まとめ】終日自由行動なので、パールハーバーが見たいと同室のHちゃんに言うと、では一緒にということで、ふたりで出かける。それから美術館にちょこっと。後は買物や観光など。バスの旅は地元感漂い、良い感じでした。

1月13日(土)
9:00 起きたらこの時間でびっくり!
朝食後、パールハーバーに行きたいと言うmeに、じゃあいっしょに行きたい!とHちゃん。ありがたい。

当たり前のようにヤシの木が多い

アラモアナまでまずバスに乗り、トランスファーをもらい、アラモアナからパールシティまで、またバス。60¢×2で1.20$。

バスの切符。薄紙。日時やルートに穴をあけてくれるらしい

約40分か50分で右側にアロハ・スタジアムが見えて来た。左側が真珠湾。

Kamehameha Hwyカメハメハ・ハイウェイで地元キッズたちと降りる。
アロハ・スタジアムはちょうどフラ・ボールの真っ最中で中から大歓声が風に乗って聴こえてくる。外には「NO FREE MARKET TODAY」という看板があった。アナウンスの響きが妙に明るくて気持ちいい。駐車場の木々には南の島の小鳥たちがさえずっている。
黒人のおっさんが通りかかりに、チケットあるよ、と声をかけてきた。ちょっと興味あったがノー・サンキューと断る。いくらか聞いてみればよかった、参考までに(笑)。

金網越しにハーフタイムを覗いてから、お次にアリゾナ・メモリアルへ。

記念館近く

なんとなく芝生の広がる所を歩いていくと、自然に記念館に入って行く。19番と書かれたチケットをもらい、しばらくはふたりで缶ジュースを飲みながら湾を眺めている。

湾のあちこちに白い目印がある。沈んだ艦の名が書いてあるらしい。
見学人はほとんど観光客みたい。中国人か韓国人カップルもいた。白人のおじさんおばさんも多い。
元軍人なのか、片方目の見えないらしいおじさんが奥さんの肩に手をやって、ゆっくり歩いていくのが見えた。

19番を呼ぶアナウンスが聴こえて、シアター前に集まる。
シアターでのドキュメンタリー映画は全部英語で半分も解らない。
アリゾナや米国の艦が現れると勇ましいイイモンのBGM、日本軍が現れると悪役のBGM、そこは解りやすかった。アメリカの正義は平和以上に尊いのかも、とふと感じたり。

ボートに乗って、戦艦アリゾナまで行く。

水の飛沫が頬に気持ち良い。

見学場所、ポールが白く塗られ、国旗が高く掲げられている。
アリゾナの沈んだところからはいまだにわずかずつ油が滲み出していた。

水底の残骸の間には、熱帯の魚たちがゆったりと泳ぎ、陽射しはまぶしい。

15分後に来たボートで帰る。

記念館についたみやげ物屋には、真珠湾攻撃に因んだ本やフィルムやら当時の新聞復刊版やらも売られている。
絵葉書を見ていた時、人懐こいおじさんが、故郷のお母さんに手紙でも書くのかい? と尋ねてきた。ちょうど来たHちゃんにも話しかけてきた。電話がなんとか、と言ってたがよく分からず、すみません英語わかんなくて、と答える。逆におじさんに「どこから来たの?」と尋ねたら、ウィスコンシンからだった。おたくらは? と聞かれてとっさに
「from Shizuoka」と言ったが解らなかったようなので「near Mt.Fuji」
と付け加えたが、アメリカのどこ? と戸惑っていたので正直に「日本です」と答えたら、かなりびっくりして、半分は感に堪えぬように
「おー!ゆーあーふろむじゃぱーーん!?」と。それでも喜んでくれていたようで良かった。
ウィスコンシンの家に帰ってから「俺はパールハーバーでホンモノのジャパニーズに会ったぜ!」ときっと話すんだろうな。

絵葉書も買った。戦艦アリゾナ

帰りはメモリアル前で52番のバスを待つが、しばらくしてから、どうもそこにはバスが止まらないらしいと気づく。ちょっと先の信号でちょうど止まったバスがいて、追いかけてみたが間に合わず。
Hちゃんが、アロハスタジアムの前まで戻ってみれば乗れるかも? と言うので戻ってみる。2バス停戻ったところでちょうど52番バスが到着。無事に乗れる。

バス停でヒッチハイクしている兄ちゃんもいる。誰も止まろうとしなかったが。

バスの運転手さんは女性で特に愛想の良い感じではないが、Hちゃんがダウンタウンに着いたら教えてください、と頼むと、いったんチャイナ・タウンで停車して「ここ?」と聞いてくれた。
「2番にトランスファーできる所まで行きたい」というと嫌な顔ひとつせず、また発進した。

バスの中にはAIDSの広告も何枚か目立った。
"Because I love my Family,I never bring AIDS"とか、映画?食事?それともAIDSについて話し合う? とか。

バスを降りてからアカデミー・オブ・アーツ(2024年現在Honolulu Museum of Art (HoMA))の近くを見学。
市の中心地なのだって。

高校があった

(2024多分トーマス広場付近)。大きな木が見える。

バニヤンツリーというらしい
水が涼しげ
根に巻き上げられそう…

カメハメハ大王像は思ったより大きくなく、しかもけばけばしくない。
州政府は青空にそびえたち、つい見上げてしまう。

市の中心と言っても緑は多く、一方通行も多く、しかも道幅が広いのであまりせこせこした雰囲気がない。人通りも少ないし、ワイキキとは違った静けさがあって良い。

お寺?
色んな青の窓が美しいビル

ようやく美術館にたどり着く。

美術館に入ったはいいが、5分で閉館時間となる。

チラ見した中庭に惚れた

中庭があまりにも美しいので、中にどんな展示があるか分からなかったが明日も来ようと誓う。
入口の警備のおじさんが「また明日ねー」と声を掛けてくれた。

念のため絵葉書を買っておいた

BANZAIラーメンなる店に入る。ロゴがなんとなく、C級映画の日本の特攻隊に扮した東洋人が苦しまぎれに叫ぶような字体だった。
3.30$のトンコツラーメン。お腹が空いていたのもあって、とても美味しい。スープがちょっぴりインスタントぽいのも、懐かしい感じで美味しい。
日系か中華系か不明の老夫婦が隅のテーブルで向かい合ってラーメンをすすっていた。
このお店はかけそばや冷ややっこも出すらしい。
経営者は地元の人っぽい。

虹色の鮮やかなビル

アラモアナセンターまで歩く。
買物の後、バス停でぐうぜん同じ会社のO夫妻と出あう。バスがもうないみたいだよ、と知らされ、4人でタクシーでホテルに帰る。

コイノボリ的な何かが売られていた
ゴミ箱と思って近づいたらポストだった

体調が悪い人が多く、仲のいいMちゃんは、ビーチでとつじょリバースしてしまったらしい。連れの人が「だいじょうぶっ?」と言いながら背をさすると同時に痕跡を残さぬように厚く砂をかけていた、と。
私とHちゃんも風邪っぽく、じゃっかん発熱が。
旅行前に社内で流行っていた風邪が今更回ってきた様子。
しかたなく、ドラッグストアで薬を買う。
Vicks Inhalerという、鼻から吸い込むタイプ。発熱や頭痛にもすぐ効くという噂を信じて試してみることに。

(多分旅行当時には知っていたとは思うが)デソキシエフェドリンが入っていて、日本には規制で持ち込めない薬だった。
これを吸い込んで、少しだけ落ち着いてきたのでさっさと寝る。

なにかとお世話になったバスと路線図

← 1990年1月 ハワイありがち社員旅行 01
1990年1月 ハワイありがち社員旅行 03 →


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?