戦車不要論のはじまりとなった第4次中東戦争
X(旧Twitter)でまた戦車不要論が話題になっている。
戦車不要論が出るきっかけとなった第4次中東戦争での事例を紹介します。
戦車不要論のはじまりとなった第4次中東戦争
この戦車不要論は新しいものではなく、1973年に起きた第4次中東戦争でイスラエル軍の戦車部隊がエジプト軍の対戦車ミサイルによって大損害を受けた事が日本での戦車不要論のはじまりとされる。
第4次中東戦争で何が起きていたのか?
エジプト軍はスエズ運河を渡ってスエズ運河の東岸地域に布陣してイスラエル軍を待ち構えました。
イスラエル軍はエジプト軍を撃退すべく戦車部隊で攻めかかります。
そこをエジプト軍はAT-3サガ―もといソ連製の対戦車ミサイル9M14マリュートカを撃ち、イスラエル軍戦車部隊を撃退します。
1967年の第3次中東戦争では、戦車部隊を中心としたイスラエル軍がゴラン高原とシナイ半島を迅速に占領した。
開戦から6日で目標を達成できたイスラエル軍戦車部隊、それが対戦車ミサイルで敗北したのは衝撃的だったでしょう。
第4次中東戦争でイスラエル軍戦車部隊が撃破された理由
しかし、この結果が出たのはエジプト軍の防空部隊がイスラエル空軍による支援攻撃を防いだからでもあります。
この第4次中東戦争のイスラエル軍は「オールタンク・ドクトリン」を採用し、戦車と空軍力による機動力と衝撃で敵を圧倒する方針を採用していました。
この為に戦車と同行するには足が遅い歩兵と砲兵については戦車部隊から外されていました。
だから空軍の支援が受けられないイスラエル軍戦車部隊は戦車だけで戦う状況になってしまい、撃退されてしまったのです。
戦車不要論がまた出たウクライナ戦争
近年においても戦車不要論を実戦の結果から提起されている。
ロシア軍によるウクライナ侵攻で、アメリカ製の対戦車ミサイル「ジャベリン」がロシア軍戦車を撃破し防衛戦に活躍した事からと、ドローンが戦車の頭上から爆弾を投下して戦車を撃破する事例もあり戦車不要論が出て来る要因となった。
同じ頃に日本の財務省は戦車や機動戦闘車よりも対戦車ミサイルの方がコスト面で良いとする提言を出し話題になった。
私個人としては、日本の戦車不要論は敵戦車に対抗する手段を戦車以外でいかに安くできるかの模索ではないかと思える。
第4次中東戦争の衝撃は戦車部隊が小さな対戦車ミサイルに撃破された衝撃と共に、多くの資金を投じて戦車部隊を整備する意義を問い直すものと言えた。
この流れが現在にも続いていると言えます。
戦争の勝敗は戦車のみにあらず
先に書いた第4次中東戦争では、イスラエル軍戦車部隊を撃破した後でエジプト軍がシナイ半島で攻勢に出るものの戦車を多く失いイスラエル軍に撃退されてしまいます。
これはエジプト軍が自軍の防空部隊がカバーできる地域から外れて行動した為です。
第4次中東戦争でエジプト軍はスエズ運河を実力で占領できたものの、そこから先へ進撃する事はできませんでした。
(当時のエジプトの第4次中東戦争での目標がスエズ運河を取り戻す事で、そこまでイスラエルへ攻める事をしなかったのもあります)
守りに徹していても、自軍の陣地を外れて行動して撃退されてしまっては敗北に繋がってしまう。戦場で負けないように、勝つにはどの兵器や武器も必要なのだ。
第4次中東戦争はイスラエル軍のような戦車に偏った陸上戦力ではいけない事を示し、エジプト軍は自分の一番良い環境から出ると大損害を受けて敗れた。
第4次中東戦争で汲み取れる教訓は、偏った軍備では勝てない。
また一方で、イスラエル軍にスエズ運河を奪還されながらもイスラエル軍に大損害を与えた事で、平和条約の交渉でシナイ半島の非軍事化によりイスラエル軍を撤収させ、スエズ運河の領有権をエジプトが勝ち取れた軍事と外交の成功があるでしょう。
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