私のエゴの話と思わせておいて違うような気がする話。


エゴとは

自我 - 英語でego のこと。自己を対象とする認識作用、哲学および精神分析学における概念。

利己主義 - エゴイストの略 - 利己主義者。自己の利益を重視し、他者の利益を軽視、無視する考え方。

Wikipediaより、引用させていただきました。

さて、初っぱなからいきなり不穏な出だしです。
私もどんよりします。せめて文体だけでも、と最近の記事とは若干変更して書いています。
ここ数日、急激に考えることが溢れていて、頭のなかはショート寸前。セーラー戦士になれるならなりたい。プリキュアの強さが目映い。そんな私のセラムン押しはセーラーウラヌス(天王はるか)様です。話がどんどん脱線中。

仕事にいけない日が、増えています。ここ何年かで一番の悪状況です。
5月に転職(という名の前の職場への出戻り)しましたが、ここに来て、自分の甘さと思い出や記憶は美化されるものという事実を突き付けられている次第であります。

持病を抱えて見知らぬ場所に行くことが怖い。そんな甘えから端を発し、そもそもこの病気を発症した場所なら、ある程度わかるしあちらも把握してくれているだろう。素晴らしい、甘え!

身動きはどんどんとれなくなり、罪悪感と私は悪くないという保身が入り乱れ、身内にもどうして私を肯定してくれないのと勝手に抱く苛立たし。
甘えて甘えて、甘ったれて、私は一方的に、落胆していました。

どこかに、
私は病気なのに。
こんなに頑張ってるのに。
と言う気持ちが根を張って、かわいそうな自分と憐れまずにはいられないのです。なんだか惨めだなと書いていて思いますが、これが私です。
仕事を休んで申し訳ない。迷惑かけてごめんなさい。そう思う気持ちが事実でも、それを上回る、保身に走る気持ち。

最近しばしばあるのは、頑張って出勤する努力をした(…が、欠勤した)のは、すべて私側の都合であり、頑張った事実は私個人のものであるという指摘です。
会社は私と契約を交わし勤務表を作っている。その時点で私にはシフトを定時でこなす最低限の義務がある。そこに、「私が頑張ったがなんの結果にも繋がっていない努力」は関与するものではない。

そりゃそうだ。
会社も同僚も「知らんがな!」となるでしょう。
それでも、無理してでも出勤をと言われて薬を握りしめて這い出た私を、休んだんだから人がいないときに出てと言われて出勤した私を、君の努力は我々に関係ないと切り捨てられることがどうしてもしんどい。

社会人としての義務を果たせない時点で悪いのは私だ。しかし、謝ることに疲れてしまった。
だから、せめて、身内には頑張ったと言って欲しかったし肯定してくれると私は信じていたのです。

でもそうではなかった。
それが正しいのか間違いなのか、私の物事を見る視点でくるくる変わるのでしょう。
すべては多面的で、だから残酷で、だから生きていける。びっくりするくらい、陳腐でありきたりな台詞ですね。笑え……ねえわ!!

私は、肯定されたかった。だから勝手に絶望していたし、単純に裏切られたように感じたのです。

これに名前をつけるならな……エゴだな。
それ以上にふさわしい名前が見つかれば、私は何か変われるのでしょうか。

……管理職に業務後呼び出しをくらったのに、肝心の管理職が会議で一時間待ちぼうけくらってる間に記事が1つ書きあがりそうです。
これはあれだな。エゴというか、恨み節だな。

とりあえず、生きています。今日も。

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