一撃一冊‼️その1
過去に読んだ本、又は現在読んでいる本の中で特に心に刺さった本を不定期でご紹介。
前田勉 『江戸の読書会』
読書とは著者と読者との対話と言われているが、読書は基本的に1人でするものが相場と決まっている。しかしながら一つの本の内容について皆が語り合う形式(松岡正剛氏は共読と言った)もまた違う形での読書だろう。
複数の人間が一つの書物について読み合い、内容を研究する読書の始まりはすでに江戸後期に存在しており、それを「会読」と呼んだ。
身分問わずに屈託のない意見交換の中で培われる虚心の精神を育んだ「会読」。自由民権運動から端を発した今日の民主主義の出発点は正に「会読」にあったのだ。
本書は伊藤仁斎、荻生徂徠が始めたとされる「会読」の中身とその後の影響、そして如何にして終焉を迎えるに至ったかを克明に紐解いてゆく。
前田氏の分析では「会読」における3つの原理とは
①相互コミュニケーション性
②対等性
③結社性
であるとする。
厳然たるヒエラルキーが存在した江戸時代であったからこそ「会読」における相互コミュニケーション性や対等性が新鮮に受け入れられ、先の2つが互いに成長して幕末において結社性へと発展してゆく訳であるが、この結社性こそが「会読」を通じて構成される独自のコミュニティへと広がり、江戸時代では禁じられていた政治的討論へと繋がっていく。
その後明治維新を経て封建主義思想から民主主義思想へと大きく舵を切っていくのだが、面白いのは歴史書に出てくる有名な幕末の志士達の多くが「会読」を経験しているところであり、「会読」の持つ本質を十分に理解して活用していたのだと推察出来る。
やがて明治時代に突入すると文明開化の元で西欧教授法の摂取や演説の流行、そして学問が立身出世に直結する事により「会読」は終焉を迎える訳だが、現代でも「会読」に近い形式は恐らく街場の本屋で行われる読書会という形において存在しているのではなかろうか?
様々な肩書きを持つ人々が1つの場所で1冊の本を通じて相互コミュニケーションをとり、対等性を持って討論する。ひょっとしたら本好きな人間は誰からも教わる事なく「会読」の本質を無意識の内に理解しているかも知れない。
最後までお読み頂き有り難うございました。 いつも拙い頭で暗中模索し、徒手空拳で書いています。皆様からのご意見・ご感想を頂けると嬉しいです。