“上手な絵”との付き合い方
・Xのタイムラインについて
朝起きると、自分で自分のことが嫌になっている・・・。そういうことはないでしょうか。音楽でもじゃっかん“自棄的”なものを聞いてしまったりする。
僕は絵を描きますが、人と比べてしまい、なかなか自分の絵に価値を見いだせない・・・。そういうことが昔はよくありました。
しかしいろんな人の絵を見てみると、自分よりも未熟な人はいるし、それでもその人は楽しんで絵を描いている。Xのタイムラインがいけないのでしょうか、上手い人の上手な絵ばかりが流れてくるように感じ、意識的に見るのを控えるようにしています。あそこに掲載されている絵が“ふつう”だと思ってしまうと、自分の絵に価値観を持つことが本当に難しくなってしまいます。ところが自信ってどういう風に育まれていくのかというと、「うまい」「いける!」というような感覚の積み重ね、いわゆる自分の絵をみて、自己肯定できる瞬間、その堆積なんですよね。昔に比べて、僕もずいぶん成長したと思います。
ところがXのタイムラインを見ていると、AIが描いたのか?と思えるような絵がわんさか流れてきます。そういうのと比べてしまうと、絵って、何の価値もないように思えてしまうのですよね。そう思うと、上手い絵というと、なにか善いことをしているように思いますが、苦手な人にとっては劣等感を抱かせる源泉にもなる・・・。そういう意味において“悪い”面もあるのですね。
最近そのことに気づいてから、意識的にタイムラインからは距離をとり、ひたすら「自分にとっていい感じの絵」を描いています。“町中華”みたいな、高級ではないけれども庶民的で美味しく、こなれた味。そういう絵を追求するようにしています。そうでないと、「絵を描きたい」という気持ちが死んでしまうからです。上手な絵って、「上手い」、ただそれだけなんですが、そういうのばかりを絵だと思っていると、大間違いです。テクニック偏重主義というか、“いいね”をたくさんもらっているということもありますが、似たような絵柄の絵が多い気もします。
しかしながら、人の心に残るものって、テクニックに重きを置いたものばかりではない。音楽でも技術のいいものばかりが好かれるか、というとそうではなく、味のある、素朴なポップスが人気を博したりしている。僕はそういうのをめざしたいのですね。またタイムラインに流れてくる絵は、水面に流れる泡みたいなもので、その描いた人が5年後、10年後どうなっているのか・・・。そのようなことを気にする人はほとんどいない。つまり一瞬網膜をかすめ、流れていく“情報”にすぎないワケです。上手い絵、というのはそういうものとも言えます。
僕もそこそこ長く活動していますが、様々な理由から、辞めていった人をたくさん知っています。長期的な視座を持っている人にとっては、Xのタイムラインというのは、一瞬の“刹那的な快”を提供するものでしかないのですね。
なので、そういうのはチラッと見るだけにしておいて、4~5枚見たら、意識的に距離をとるようにしています。自尊心や自己肯定感、絵を介したそういうものがどんどん削られていくからです。
アップされている絵をいくら見ていても、自分の絵になにか善いフィードバックがあるわけでもない。絵は上達が目に見えてわかりやすく、視覚的に印象が強いので、わかりやすいですが、何万いいねをもらうような絵をいくら見ていても、伸びていくものではありません。
・自分が時間をかけて描いた絵を肯定する
むしろそういうものから距離をとって、自分の絵柄、自分の好きな絵を追求していく中で、「うまくいった」「いい絵だ!」という素直な感覚を追い求めていくところから磨かれてくる・・・。そういう感慨を持っています。自分が時間をかけて描いた絵を100%肯定する。そして一生懸命書き込んだその絵を時間をかけて、ていねいに仕上げていく・・・。そうすることで、確実にスキルは伸びていきますし、いろんな構図を勉強し、上達することができます。
上手い絵はミュートするくらいでいいのではないでしょうか。
そのくらいの認識すら持っていますね。見ても仕方ないというか・・・。普段絵を描かずに、横になってごろ寝で絵を観賞しているだけならいいと思いますが、そこから何を学べるか、自分の絵柄に落とし込んでいけるかがないと、「上手い絵をただ開陳して、自慢したいだけではないのか・・・」。そのようにも思ってしまうからです。
自分としては、別に絵でそこまで描けなくてもいいし、文章もやれる人なので絵にだけそこまで特化していなくてもいい。今ではそう悠然と構えている。それよりは描きたい構図、表現を、そのまま紙面に落とし込んで、自分にしかだせない絵の“味”みたいなものを追求していく方向に舵を切った方が、きっと伸びる・・・。
そのように「自尊心・自己肯定感」という観点を常に大事にしておくと、無用な選択肢を選ぶことが減り、幸福感は増していくと思います。自己肯定感が高いことは、心の安定感、安心感につながります。それは幸福な状態と言っていいでしょう。上手い絵を描くだけが、幸せにつながる道ではありません。幸福にいたる道は、ほかにもいくらでもある、その手段として“絵”があるだけなのです。
長い時間描いているとついつい忘れがちになりますが、人生は絵よりも大きい。絵が描けなくても、生きていける時間はいくらでもある。
哲学者やどこかの大学教授と呼ばれている人でも、芸術や文芸の価値を否定し、ニヒリズムを哲学的に“立証”してしまっているような人を見かけますね。長~い文章を書いて、一体何をやっているんだろう。そういう人と付き合う時は、「何を書いているか、言っているか」よりも、行間にあらわれるその人の素顔を見た方がいい。そこにその人の“本質”が投射されます。得意げに展開される難解晦渋な哲学など聞かなくても、その人がフとした瞬間、見せる表情が、すべてを物語っているのですね。きっと己の「ニヒリズムの哲学」を証明するのに、精も根も尽き果ててしまったのでしょう。そんな人の言うことを真に受ける必要は、どこにもない。
難解な哲学や、上手すぎる絵が描けなくても、人生楽しいことは一杯ある。それを知って、自分の絵を、人生を楽しむことを優先しましょう。それが楽しく生きるコツだし、自分の自尊感情を守ることにもつながるのです。
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