3.11 生きるって素晴らしい

当たり前に続くと思っている日常が、こんなにも脆いとは思ってもみなかった。

9年前の3月11日確か金曜日だった。当時は浦和のロイヤルパインズに勤めていて週末に控える1000人以上の婚礼やパーティーに使うソースを作り終えた所だった。

自分は4階にあるメインキッチンのソースや肉や魚などを焼く部門で働いていたんだ。
メインキッチンには、大きな水槽があって出来上がった1000人分のソースなんかを冷やすため、冷水が巡回するプールに出来上がったソースを次々と浮かべて次の仕事に取りかかるところだった。

ずしん。

足の裏に突き上げるような衝撃。

ん?

すると突然信じられないくらいの縦揺れからの横揺れ。

どどどどーん。

なんとも言えない、そこら中から聞こえるミシミシっていう音。

気が付くと僕は無意識にソースの方に走っていき、一生懸命ソースを抑えてた。火の近くの人は即座に火を止め、みんなで声をかけて安全を確かめた。

みんな料理人としての役割をしていた。

大きな地震だった。でも、その時はそのくらいだった。

暫くすると、全員避難通知で階段で外へ
でもまだこの時は事の重大さに気づいていなかった。恐らく大半が。
携帯は通じなく、一人の同僚がみた動画に言葉が出なかった。

つなみだ。

9・11の時もそうだったが、人は自分の想像を遥かに超えた物を目にした時、今まで見て来た映画のワンシーンから答えを探そうとする。

嘘だろ? 

そんな思いが頭をよぎっていた時、19階のレストランのお客様がエレベーターが動かない為に取り残されているって聞いて、階段を19階まで登っていくと階段はガラスの破片や割れた食器などで危険な状態になっていた。
19階に着くと、まだ余韻でゆっくりと揺れているレストランを尻目にお客様の手を取り慎重に降っていく。

途中、余震の大きなものが来たりしながら降りていき、無事に送り届けた。その日の5件くらいの宴会は全てキャンセル。次の日にはどうしても団体で宿泊中のスポーツ選手の食事以外のキャンセルが決定。壊滅的だった。

あの時は、自分の力なんて本当なくて。今いる埼玉の現状と被災地とのギャップに自分では大丈夫だと思っていたけれど、多分大丈夫じゃなかった。

恩師や兄貴、先輩たちは被災地に炊き出しにいく中、仕事のシフトが合わずレンタカーを借りて家中の本という本をかき集め段ボールに詰めて夜中車運転して、せめて本だけでもって先輩や兄貴に託して、自分には何にもできなくて、家で本かき集めてた時は涙が溢れてた。

自分の店を持とう。

ずっと、言い続けていた事。出来るかどうかはわからないけど。
確実にここが僕のターニングポイントだった

あれから、もう9年。

店を作ってから、7年がたった。
いまだに細々とお店を続けているけれど本当に毎日が勉強の連続

ただ、何気ない日常。お客さんの美味しいっていう言葉。

そして、笑い声。

僕はたまに、料理をしながら泣きそうになる事がある。
大変なことはしこたまあるし、労働時間だって鼻血がでるくらい長い。

だけど、

今ここにある日常がたまらなく愛おしくなる

生きるって素晴らしいって思う。

これからも、いろんなことにチャレンジしていろんなことに失敗すると思うけど、なんだか楽しみ。

人は思ってるより弱くて、思ってるより強いんだよね。

また明日から、頑張ろ。

100万人登録のYouTuberになるまでの日記のようなお話

またね。

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