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難聴の原因が希少疾患とわかって人工内耳になるまでの体験まとめ(7)

この記事のもとになっているSNSの日記は2009年に書かれたもの。前の「補聴器をつくるの巻10」からずいぶんあいてしまっている。当時は大学の非常勤講師の掛け持ち時代、寝る時間削って授業準備、授業実施、授業の後始末の自転車操業の毎日で、SNSの日記もほとんどそればかりだった。たまに落語鑑賞日記、目標達成状況日記が入ったが。
「聴覚障害者であるということを,わたし自身が受け入れられるようになった」などと書いているが、別に良きものとして受け入れているわけではない。その昔にあった概念の「障害受容」とは違う感じ。自分の特徴として入れてやってもいいか、くらいである。

補聴器をつくるの巻11

だいぶあいてしまいましたが,補聴器をつくってから5ヶ月ほどたちました。
補聴器をつけたときの聞こえ方の特徴もだんだんわかってきて,いろいろなエピソードもありました。今回は「補聴器をつくってよかったこと・うれしかったこと」についていくつか書いてみる。
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・物音・環境音はかなりひろえるようになった。ひろいすぎて困るときもあるが,それは「こまったこと編」で述べる。

・集団で話しているとき,いま誰が話しているのか,というのがわかりやすくなった。

・耳が悪いということを他人に伝えやすくなった。「耳が悪いです」と口で言うときもあるが,目の前で補聴器を装着してみるとか,はずしてみるとかすることでさりげなく(?)伝えてみたりしている。携帯型音楽プレーヤーに間違われたことはこれまでにない。

・聴覚障害者であるということを,わたし自身が受け入れられるようになった。上のような行為を自分からするようになったのも,これが一番大きいのだろう。よかったことの中のベスト1かもしれない。

・某飲み会に出たときのこと
聞き取りにくくて他の人に迷惑がかかるので,基本的に飲み会は遠慮している。が,この日はひさしぶりに会えた人たち(わたしが難聴であることを全員知っている)ばかりだったので参加することにした。補聴器をつけてみたけど,お店が混んできたらまわりのざわざわのほうを拾い出してよく聞き取れなくなってきたので,途中からはずして裸耳でいた。そうしたら目の前に座っていたある後輩が気を遣ってくれて,一番はじっこの人が話したことでみんながもりあがっていた時,こういうことを今話していたんですよってゆっくり話して「通訳」してくれた。ありがたいやらうれしいやら申し訳ないやら,なんとも複雑な気持ちになったのだった。

次回は「困ったこと・嫌だったこと」について書く予定。
2009年09月21日00:53

◯コメントへのレス(抜粋)

  • 耳鼻科に行ったら即補聴器決定になりましたから,はっきりしてよかったと思います。難聴の場合はコミュニケーションの問題があるので,なるべく伝えるつもりでいます。軽中度の難聴に関しては,偏見というよりは,ほとんど理解がされていない気がしています。

  • わたしは就活がきっかけで,耳鼻科再受診→補聴器作成となりました。
    耳穴式か耳かけ式のどちらにするか,わたしも迷いました。耳かけ式のほうが価格が安かったこと(わずかですが),耳が悪いことを伝えるためにあえて他の人に見えやすいタイプにしようと思ったことが決め手となりました。部屋や相手の声質などで,補聴器をつけるとかえって聞き取りづらいこと,たくさんあります(笑 「困ったこと・嫌だったこと」で書いてみたいと思います。

  • 同じ状況でいろいろためすことは,わたしもよくやっています。両耳装着,片耳装着,裸耳,裸耳のうえ両手を耳にかざすなど…。騒がしいところでは,一番最後のもっとも古典的なやりかたがよかったりします(笑
    「困ったこと・嫌だったこと」編で書くつもりですが,両耳装着すると小さい音が拾える分,音声の明瞭度は下がってしまうのですね。


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