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難聴の原因が希少疾患とわかって人工内耳になるまでの体験まとめ(12)

東日本大震災に見舞われたときのこと。

地震による帰宅困難者体験

・午前中から某建物6Fにある某研究所でデータ集計の続きをしていて大地震にあった。研究所のある建物は古い建物らしいので、崩れたら死ぬなと思いながら机の下にもぐっていた。とくに物は落ちてこなかったが、自分の机があるフロアの端っこのエリアはくずれやすいところなどと職員の方に言われてフロアの中のほうにいるようにした。うちと親に電話をかけるけど通じない。ネットは使えるのでヤフーやNHKのサイトで地震情報を見ていた。

・1回目のゆれの後はまだみんな笑ってたりして余裕があった様子だったが、2度目のゆれが縦ゆれ系の尋常でない感じのものだったのでだんだん雰囲気が変わってきた。そのあとも揺れがおさまらないので、わたしの業務も15時すぎくらいにおわりになって、みんなも外に出された。

・表に出されたんだけど、携帯で調べたら、地下鉄も私鉄もとまっている。みんな足止めくらって建物のまえはごったがえしていた。とりあえず新橋のほうまで歩いていって、JRの様子を見に行った。途中でコンビニと売店でチョコレート、スポーツドリンク、カロリーメート、携帯の充電器、震災用帰宅マップを買った。

・新橋駅に行ったらやっぱり運転見合わせになっていた。とりあえず横浜まで歩いていって、横浜駅で電車が復旧していたら電車に乗ろうと思って、ひたすら国道15号沿いに南下していった。歩いて帰ろうとする人が歩道にいっぱいいたので道に迷うこともなかった。車用の標識もめじるしになった。せっかく買った震災用マップはあまり見なかった。

・歩いている間に見た光景。公衆電話は誰かがかならず使っていた。コンビニのトイレもたくさん並んでいて、食べ物もとくにたくさん買われていたみたい。携帯やさんに並ぶ人も相当にいた。道路の車は大渋滞、交通量が多くない道路は多くの人がほぼ信号無視で通行。徒歩から自転車にきりかえるためか、自転車屋に駆け込む人もいた。ローラースケートですべっている人もいた。呑み屋とか飲食店などふつうにやってるところがけっこうあったので、今はほんとうに非常事態なのか不思議な気持ちになる。20時半前、横浜市に入ったあたりで停電になって、信号は見えなくなり、コンビニやファミレスも一時閉店していたけれど、それほど長時間ではなかった。

・「神奈川県」の標識が見えたときはかなりうれしかった。あるいて5時間たったあたりから足が動きにくくなってきた。ときどき、休憩でトイレにいったり足のマッサージをしたり、携帯のバッテリが切れたので公衆電話からうちに電話をかけたりした。20時過ぎて気温もさがって、疲労もたまってきたので、ダウンジャケットのフードをかぶってときどきチョコレートをかじりながらもくもくと歩いていた。周りの人にはおしゃべりしながら歩いていいる人、携帯とかゲームしながら歩いている人、へたりこんでいる人もいた。

・そんなこんなでやっと横浜市にはいったが、ここからどっち方面に行くか迷った。そうしたら地域の消防関係?のサポートの人が立っていて「道わかりますか」と声をかけてくれて道案内をしてくれた。藤沢に行きたいといったらみなとみらい方面に行ったほうがよいと教えてもらったので、保土ヶ谷方面をよしてそちらにむかった。横浜駅の標識をみつけて、足をひきずりながらようやく駅に。このとき23時台。

・横浜駅は、サポートの人に道案内してもらっている人、座り込んでいる人とか寝ている人がたくさんいた。駅ビル構内で水の配給をしていてミネラルウォーターを1本もらった。電車はぜんぶだめだったのでバス乗り場に行ってみたら、どうならんでいるのかわからないくらい人がいた。とりあえず乗り場の近くに立って様子をうかがっていたら、見知らぬ女の人がここの乗り場にはこういう風に並んでるんですよってぐるーっと手を回してわざわざ教えてくれた。

・しかたないので歩いて藤沢まで帰ろうと思って、地図を見に行こうとしていたら、なんかアナウンスがあってたくさんの人が一方向に移動している。アナウンスがよく聞き取れなかったので、移動している人に聞いたら地下鉄が再開したと教えてくれた。

・横浜市営地下鉄の横浜駅にいったら、ものすごいたくさんの人があつまっている。改札前でしばらく待たされて、入場規制と徐行運転による遅延はあったけど、しばらくまってようやく湘南台行きの地下鉄に乗れた。朝の東京メトロ並みの混雑。こんなときにもいつものアナウンスを流していて、JRとまっているのに「JR線はお乗換えです」とかいってて、なんだか笑ってしまう。よっぽどくたびれていたと思う。

・湘南台からはまた歩きかと思っていたら小田急線も運よく復旧していた。そんなに待たずにスムーズに乗れた。横浜から藤沢まで歩く体力が残されていなかったのでほんとうにたすかった。最寄り駅からうちまではタクシー。

・携帯のバッテリが途中で切れて情報収集ができなかった。うちでネットにつないだらたくさんメールが来ていた。ボスからは明日の読書会は中止、研究員の申請書類も手渡し中止。難聴研究のY先生と共同研究やってるアメリカのAさんから安否確認のメールが来ていたのですぐに返事した。

・うちに帰ってテレビをみたら東北地方の被害が想像以上のひどさで、2時過ぎまでテレビを見続けていた。自分の部屋はぐちゃぐちゃだから玄関で寝ようとしたが、夜中まで余震があってなかなかねつかれなかった。

・なんとかうちに帰れたのは、停電がそれほど大規模でなかった、道路が通れないほど壊れていたり建物が倒壊していたりするところがなかった、通り道に火災がなかったことにもよると思う。震災用帰宅マップもほとんど使わなかった。もし道路の寸断や停電などがあるほどであれば、地震があった霞ヶ関でじっとしていたほうがよかったのかもしれない。官房長官が会見で「無理に帰らないように」と呼びかけていたらしいが、そのときは国道15号沿いを必死に歩いていて、まったくそんなこと知る由もないのだった。
2011年03月12日14:14

災害時の視聴覚障害者への情報保障

あれだけ毎日のようにやっていた「私に名言」もすっかりやらなくなってしまった。このところ眼の前で起こっていることがすさまじすぎて、そのことで考えるのにいっぱいいっぱいになっている。

11日に都心で地震にあったとき、わたしは帰宅困難者になったわけですが、さわがしいところで聞き取りにくいわたくしは、途中ちょっと難儀なことになっていたのでした。

やっとのことで横浜駅にたどり着いたときに、なんだかアナウンスがあってたくさんの人が一方向に移動しているんだけど、アナウンスの内容がよく聞き取れなくて、いったい何かあったのかと不安になったのだった。
移動している人になんてアナウンスしているのかきいて、結局、地下鉄が再開したことがわかったのだった。下手すると、地下鉄の再開を知らずに横浜駅で一泊していたかもしれない。

そのあと、地下鉄の改札付近に行ったのだけど、すでに人が溢れていて、拡声器で何かがなっていて、うるさいくらいに音は聞こえるんだけど、再開までしばらく待て以外のこまかいところがわからない。
背伸びして前方の様子を伺ったら、駅員が入場制限するとマジックで書いた紙を持っていてやっとわけがわかった。後ろの人はこれでは見えないよ。改札前は身動きがとれないくらい人が集まってしまったのでしかたがないけど、視覚と聴覚の両方でまめに情報を提供して欲しかったのだった。

程度によらず、視覚や聴覚が不自由だと緊急なときの情報がスムーズに入りにくい。
関係している団体からは支援の仕方についての情報が出されているが、
こういう支援体制があたりまえになってほしいと思います。
で、あたりまえにしたいので、難聴の研究はずっと続けていくと思います。

避難所等における視聴覚障害者等に対する情報・コミュニケーション支援について@厚生労働省(平成23年3月11日付)
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000014tr1-img/2r98520000015h3d.pdf

避難所等での聴覚障害者に対する支援のお願い(災害対策マニュアル)@全日本ろうあ連盟
http://www.jfd.or.jp/tohoku-eq2011/shelter-support

2011年03月27日16:23

あれから13年。あたりまえになっているか。

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