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「もう無理して頑張らなくていい」は本当か?無責任であり、ポジティブなメッセージにならない理由の解説。


もう頑張らなくてええんやで

的なノリは、感動的なメッセージだとして、しばしばテレビドラマや漫画などでも、感動シーンで使われたりする。

さりとて、ここでの問いは、本当にこのワーディングは正しいのかどうかというもの。

■結論:相手との関係性による

結論は、相手との関係性によるよね、誰に言われたかによるよね、というもの。シチュエーション、時と場合にもよる。

人間の気分や感情とは、刻一刻と変動する。ドラマチックなシチュエーション、事前の下準備、音楽、体調など、いろいろなものに影響を受ける。

なので、ドッキリ企画とか、サプライズのお祝いとか、真剣な話をするときは場所を改めるとか、そういう調整をしたりするよね、それと同じことで、ちゃんとタイミングとかシチュエーション、どこまで、何を話すか、伝えるか、言い方、イントネーション、相手の顔や表情を見ながら、刻一刻と変化対応して調整しなければなりません。

■ビジネスの場、家族や恋愛友人関係でも同じ

これは、説得や交渉などのビジネス折衝の場でも同様だし、謝罪の現場とか、家族や恋愛、友人関係などでも全て同じ。

コミュニケーションというものは、ソーシャルスキルといったテクニカルなところもだけど、それよりも人間の感情の機微、洞察など、そういう配慮や細やかさ、しなやかな対応ができるかどうかにかかっている。( そういうのをココオルで学ぶ、トレーニングしてもらえればええなあと僕は考えている。すべては啓蒙、教育、トレーニング、鍛錬だ。)

■伝え方は重要。タイミングやシチュエーションも。

話を戻すと、相手に何かを伝えるとき、そのタイミングや状況は、色々と考えなければならない。

ただ、これをあまりにも気にしすぎると、スピードは落ちるし、時間もかかって臨機応変にタイムリーな動きができなくなる。

また、ここが首尾一貫していないと、逆に早すぎると、ちゃんと相手に伝わらなかったり、混乱を招いてしまったりする。

こういうマネジメントスタイル、管理体制の状況などを見かけたりすることも多いのだけど、色々と大変だなあと感じたりはする。

■丸田の派遣社員2年間での感想

僕は派遣社員として2年間、工場で働いていた経験がある。その時のことも一度また書き残しておくけれど、その時は、大手企業の中間管理職と派遣社員や関連会社との関係など、たくさんのことを学ぶことができた。

僕は基本的に孤独を愛するタイプなので、その時もいろいろと、怒られたり、攻撃され続けてきた。攻撃されることは慣れっこ。

ただ、上司や周りからは特に何も言われることはない。理由は、僕がルール違反をしたり、間違ったりしておらず、あくまでもちょっとした所の解釈の余地がある部分、幅がある部分なので、何とも言えないところを刺されているのであって、まあ別に問題ないよね、大したことないよね、どっちでもいいよね、むしろ適切だよねそっちが本来は、みたいなところだから。

なので、僕も別に気にすることはなく、そういうものだと割り切っていた。

ただ、それをよしとする人間とよしとしない人間もいて、ああだこうだ外野で騒いでいると、逆に僕は、だから何が問題なのかよくわからない、問題があれば、公明正大に、オープンに、上長への報告、会議の場での議案とすれば良い、そういう考えを持っているので、あまりそういうローカル的な内輪的な明文化されていないオフィシャルではないルールなどには我関せず、プロダクト、事業、サービス全体としての本質的な価値、最適なリソース配分、費用対効果、レバレッジの極大化になってたらええよね、という判断を行なっていた。

■はいそうでっか、ごめんねごめんねーの世界

ごめんねごめんねーの世界。反論や反発をすることはない。理由は、僕のパーソナリティでは、相手を説得とか、自分の正しさを証明したいという気持ちが一切ないから。

無駄なことに時間を割くのが人生の無駄なのである。

僕、ココオルが正義だとか、正しいとか、ココオルの素晴らしさをもっとみんなに証明したい、説得してわかってもらいたいなど、一ミリも考えてないので。

それと同じ。

■自分がやるべき本質は何なのか?

僕がやるべきことは、ただココオルの改善、ココオルの人たちと共に、みんなで一緒にチームとして頑張る、国民一人一人と向き合う、向き合い続けるということだけ。

ここに、僕の1秒を使う、エネルギーを使うと決めている。なので、それ以外のことはしない、我関せず、ああそうでっか、ふーん、という感じで、何か聞こえてきても、右から左へと受け流してきた。この5年間もずっと。

じゃないと、何か一つ一つに反応していたら、経営も事業もプロダクト改善もできないからだ。

強い意志を持って、自分がやるべきことに集中せねばならない。

それがリーダーだ。

■リーダーと責任、フォロワーシップ

リーダーには重い責任がある。すべての責任がある。

だからこそ、リーダーはみんなで支えなければならない。

僕はココオルの仲間にだいぶ助けてもらっていて、本当に感謝している。

みんなのフォロワーシップのおかげ、僕の足りないところを何とかカバーしてくれるという献身性、主体性、高いモチベーション、自己管理能力などの賜物である。

それぞれうまいこと、ココオル、丸田と関わってくれている。

今後も、彼らを中心として、ココオルを存続、普及、プロダクト改善を頑張っていきたい。

■何を言ったかではなく、誰が言ったかが重要

よく勘違いされるのだが、誰が言ったかが重要です。

「誰が言ったかじゃなく、何を言ったかが重要」というもっともらしい正論は少なくない。

ただ、バッティングの理論やアドバイスを、草野球チームのおっちゃんがいうことと、野球界のレジェンド イチロー選手が言う言葉では、重み、深さが異なります。

たとえ、同じことを言ったとしても、野球少年の心にどう響くかは、言わずもがな。考えるまでもありません。

人間とは、気分や感情、モチベーションで突き動かされる生き物だからです。

(だからこそ、実績や実力、培ってきた経験、積み重ねてきた努力は、決して無駄になるものではないのです。)


■ココオルでの相談対応のスタンス

結構厳しいことも時には投げかけたりします。

それをよしとしています。

ただ、タイミングとしては、対話が続いてからです。

初期においては、状況把握のための傾聴と対話に集中します。

ココオルでは、現在機能制限していて、ユーザー同士のメッセージ機能の停止、チャットシステムの開発停止、スタンプや画像投稿機能の開発を停止しています。

理由は、あまりにも自由度を高く、全てをフルオープンで機能を拡張すれば、大衆は機能を使いこなせず、自由という名のカオスに漂流してしまうことを丸田は理解しているからです。

なので、フルに機能をオープンするのは、時期尚早です。民度との兼ね合いで、ココオル の機能の幅は調整していきます。

良いのです、シンプルに文字だけのやり取りで。それだけで、まずは真剣なプラトンとソクラテスとの関係になっていければなのです。

古より対話形式で著作を著した作家、叙述家、学者は多く、中でも西洋においては、哲学者のプラトンは膨大な著作のほとんどを対話篇で著したことで有名であり、東洋においても古代中国の諸子百家の書にも対話篇を採用したものがある。
対話篇の利点は話し言葉で書かれることが多いことによる記述の平明さ、そして著者の思考の筋道を読者が追うことができる点などがある。しかし、欠点もあり、例えば、複数の登場人物が出てくることからいったいどの登場人物の主張が著者自身の主張であるかがぼやけかねないという点がある。現にデイヴィッド・ヒュームの『自然宗教に関する対話』の登場人物のうちクレアンテスかフィロンのどちらがヒューム自身の見解であるかについては現代でも論争の種である。

■回答より対話が重要な理由

対話により、思考が整理されていきます。

また、気づきやすくもなり、リズムが出て、人とのコミュニケーションができているという感覚も、自尊心の回復に寄与します。人によっては自信にもつながっていきます。

ココオルでは、対話を意識しています。これは、ユーザーにもスタッフにも、繰り返し僕は伝え続けていますし今後も死ぬまで続けていきます。

対話やで、コミュニケーションやでと。

自分との対話、他者との関わり方逃げないこと、ここがボトルネックとなっているケースも少なくないからです。

いつものように、どんどん話が脇に逸れてまとまらないものの、特にまとめる気は一ミリもないので、最後にタイトル部分の回収だけして終えます。

■「もう無理して頑張らなくていい」は本当か?

→タイミングによっては、ありです。あと、相手との信頼関係にもよります。

なので、一概に盲目的にダメだとは言わないけど、まあタイミングは難しいし、使うのは気をつけたいよね、みたいな感じ。

■無責任であり、ポジティブなメッセージにならない理由

無責任というのは、相手との信頼関係の構築ができていない段階では、響かないし、伝わらないからあんま意味ないよね、という意味です。

それは、相手へのポジティブなメッセージにはなりません。

話が早いねん、はしょりすぎやねん、結論早すぎると、相手との意味解釈にギャップが大きすぎて、相手の思考が追いついてないし、腹落ちしないし、ほんま全然無理、ダメやで、てきなところです。

このあたりの繊細さがないと、対人援助はできなかったりします。

ただ、ココオルの悩み相談への投稿に対して、他の一般ユーザーが言及する言葉については、何かしらの制約をとるつもりは一切ありません。

それも含めて、世の中にはいろんな人がいるという学びの場にもなっていけば良いと思うからです。

人を受け入れる度量を広げていくことも、社会との折り合いを見つけ、世の中を渡っていくために必要なソーシャルスキル、生きる態度にもなっていきます。

世の中には、カウンセリングやコーチングや占いやスピリチュアルや精神療法等色々な方法がありますが、結論何でも良いので、自己責任で選択し、自分に合った方法で、自己成長、自己実現、幸せにたどり着けば良いなと思います。

変な新興宗教や怪しい詐欺師や自称カウンセラーなどにひっかかかり、依存状態になるのは危険なので、そういうのは注意したほうが良いかなとは思うので、これはいつか別で書こうと思います。

真面目な人とか、繊細な人、孤独な人で寂しさを抱えている人ほど、搾取されがちです。何とかそういう悪さをする人をどうにかしたいものですが、世の中から駆逐はできないので自己防衛する手段を身につけていく、教えていくということをココオルでやっていければなと思います。

ココオルは無料で、心理的安全性を最優先したプロダクト設計をしながら、今後も国民のため、世界中の人の人生の幸せのために頑張っていきます。

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