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初の100キロウルトラマラソン、完走したよってお話

こんにちは。きしもとです。

2023年9月17日。京都府京丹後市で行われた、「丹後100kmウルトラマラソン」に参加してきました。
最高気温34.2℃、獲得標高1250m、完走率48.0%という初100キロの挑戦にしてはまあまあハードなレース。そんな中、結果は13時間32分1秒で無事完走することが出来ました。
無謀極まりないこの挑戦を、決断から準備期間、本番までざっと改めて振り返りたいと思います。


①挑戦のきっかけ

以前の投稿でも当時の心境を書きなぐっておりますが、

・フルマラソンはもう慣れたから、次はその上のウルトラだ!という謎の上昇指向
・100キロ走れるって何か強そうという直感
・もっと狂ってて面白いことがしたいというエネルギー

という、振り返ってみても、安直で完全にノリと勢いからの挑戦でしたw
42.195キロの2倍以上あって、本当に走れるかどうかなんてわからないのに。

↓当時の記事はこちら

②準備期間のお話

練習開始

やると決めたらとことんやりたいのが自分なので、大会までの約3カ月間、とにかく週末に時間を作っては都内を、時には郊外まで旅ランを繰り返しました。ただ、どんな練習をどれくらい練習したらいいのかはあまり調べず、我流でとにかく距離を稼ぐことだけを考えていました。
最初はフルマラソンのリハビリという意味で20キロ、30キロ、慣れてきたら40キロ、50キロと順調に距離を伸ばしていきました。うん、ここまでは総じて順調。

マイルストーンとなる、60キロマラソンも突破

6/25に開催された、「みちくさover night60km」を、9時半32分で完走。初のウルトラは完走という結果で終えることが出来ました。が、時間かかりすぎ。このペースなら確実に100キロはタイムオーバーになる。喜びと焦りを同時に感じたことを鮮明に覚えています。
というかこの大会、夕方18時に横浜をスタートして夜中に箱根に着くというまあまあなクレイジーさでした。w

夜中の3時に箱根に着くという、
これもこれで狂ってるマラソン大会でした

そして、やらかす

その後です、異変が起きたのは。やってしまいました、ランナー膝です。過去一度なったことがあるのですが、再発してしまったのです。それからは5キロ走るだけで激痛。思い切って1か月間の休養を取ることにしたのですが、休養後も20キロ走るのが限界。何なら左膝を壊したのですが右側も壊してしまい、「正直ウルトラは厳しいかもしれない」とさえ思っていました。
そんな中Twitterで、「連動性トレーニング」をやられているBACK AGINGの和田さんという存在を知り、即申し込み。やっていくなかで、痛みは緩和され良い方向に進んでいく感覚を持てました。(というか、今までの自分の体の使い方ヤバさに絶叫した)
ちなみに、このトレーナーさんも同じ100キロを完走されている方で、めちゃめちゃ心強かったです。

③いざ、100キロに挑戦

膝の不安を抱えつつも、朝2時に起床し、実家からいざ会場へ。
てか朝早すぎる。もはや朝じゃなくて夜wこれがウルトラかと。
ちなみに、直近仕事が鬼たまっており、直近3日くらいは睡眠時間がまともに確保できずでしたw
会場で一緒に走るDくんと合流。(いろいろあって、初対面がこのウルトラ当日というのも、狂ってるなと思うw)
大会会場にはすでに大勢の人。フルマラソンと違って、ベテランというか、ガチな人が多い印象。
スタートからゴールまで、当時の感情をつらつらと下に書いていきたいと思います。

スタート会場の熱気はすごかった

スタート~10キロ

4:40スタート。気温は恐らく25℃くらい。真っ暗だけど涼しくて走りやすい。いきなり坂道登るけど、全然苦にならず調整は絶好調。調子に乗って若干飛ばす。(キロ6分半想定が、6分を切るw)

10キロ~20キロ

まだまだ全然余裕。そろそろ周りが明るくなってきて、太陽が昇ると直射日光で暑さを感じる(スタッフさん曰く、28℃くらいだったらしい)。ここでも坂道関係なく飛ばしまくって、想定のキロ6分半を30秒上回るペースで走る。ペース配分完全にミスってて、周りのランナーをぶち抜きまくる。気づいたら10分前にスタートしてるグループのところまで追い上げていることに気づくw

早朝の久美浜湾。
この時はまだ景色を楽しめてた

20キロ~30キロ

フルマラソンならそろそろ疲労が見え始めるタイミング。ちょっと飛ばし過ぎたせいか、足が疲れてきた。(飛ばし過ぎが原因)でも、アドレナリンのせいか、精神的にはそこまで辛くない。坂もガンガン走って登ってると、周りのランナーから「元気やな」と声を変えてもらえる。気づけば20代のランナーって少ないなと気づく。最年少なのでは?とさえ思う。そして、膝も痛みが出てくるタイミングと想定していたが、なんと全く痛みがない。これはいけるんじゃないか?とテンションあがる。
29.5キロの第1関門を1時間残しで通過。出だしは総じて順調といった印象。

30キロ~40キロ

七竜峠という、標高150mの峠超えがここで立ちはだかる。
「こんな坂絶対走れんやろ」という急坂。ここはもう諦めて歩くに徹することに。周りのランナーもみんな歩いてる。5キロくらい坂道の区間が続く。時刻も9時前後で恐らく気温は30℃を超える。エイドのコーラが身に染みる。。かつエイド休憩の度に被り水で冷やさないとやっていけないレベルに。
このタイミングでようやく「ヤバイ大会に出てしまった」と気づくw

40キロ~50キロ

七竜峠を登り切り、今度は逆に下りに。「今までのロスを帳消しにする」の決意で、キロ4分半ペースでの高速ダウンヒルを実行する。周りのランナーたぶん100人くらいぶち抜く。恐らく下りで飛ばすことはよろしくないのだろうけど、事前知識ゼロのきしもとはそんなのお構いなしに、爆走する。
43キロ地点のエイドで両親と合流する。「待っていてくれる人がいるってこんなに力になるんだ」と改めて実感する。エイドでうどんを10秒で食べられるくらいには胃腸まだまだ異変なし。終始笑顔だったらしく、両親は自分の元気さにビビッていたそうw
気合入れるために本日1発目のモンスターをぶち込む。

フルの距離超えて、コッカラッス。このインスタの投稿からも、狂ってることが良くわかるであろう。

50キロ~60キロ

第二関門となる54.5キロ地点をまさかの1時間残しで通過。当初の想定では、この関門を突破できるかが一つのヤマと考えていたので、想定以上の好タイムでテンションあがる。「完走」という言葉を初めて現実と捉えられるようになる。これが大会本番のパワーなのか。ただ、足はかなりキツイ。残りHP30くらい。アミノバイタルの投入頻度も上がってきて、疲労が増してくる。このころから笑顔が無くなりつつある。エイドでばら寿司を頂くが、喉を通らないwそろそろ内蔵にもきたなと感じる。流石に精神的にきつくなってきたので本日2発目のモンスターをぶち込む。

レース中に見つけた名言。まじで今大会一番ぶっ刺さった。

60キロ~70キロ

ここからは完全に未知の領域。「一歩ずつ前に足を進めていって、自己最高を更新出来たらよい」そんな気持ちだった。
そして、丹後ウルトラマラソン一番の難所、碇高原攻略に挑む。標高400mまで一気に駆け上がる鬼畜ゾーン。戦略はただ一つ、「ただひたすらに歩く」。峠の全区間歩いても完走は見込める貯金を残していたので、精神的にちょっと余裕はあった。が、しかし長い。10キロ進むのに2時間弱かかる。傾斜がきつすぎて、もはやマラソンというより登山をしている感覚になる。
たしか68キロくらいの地点だったと記憶しているが、このタイミングで両足の太もも全体が攣る。痛すぎて思わず悲鳴を上げる。(周りのランナーさん、うるさくしてすみませんでしたw)初めて「リタイア」という言葉が脳裏に浮かぶ。事前準備なしで臨んだので、足の攣りをなくす手段なんて知らず、かつ方法を調べようにもネットは圏外w終わったと思うが、奇跡的に10分待ったらまた歩けるようになった。そこからはただひたすらに山を登る。

こんな坂が10キロくらい続きます。想像の10倍キツいw

70キロ~80キロ

無事、山登りを制覇し、第3関門を50分残しで通過。この進捗はかなり嬉しい。正直、碇高原攻略が最大のヤマと想定していたので、テンションぶちあがる。72キロ地点のエイドで両親と再開。ファイテンのブースでマッサージもしてもらい、そうめんも食べて心身共にかなり回復する。身体的にはHP残り10といったところだが、精神的にはHP残り50くらいに回復w
ちなみに、両親は制限時間内に関門を通過すると思っていなかったらしく、関門を時間残しで突破し、かつ関門突破した喜びからニコニコしてた自分を見てびっくりしていたそう。
また、残り時間は4時間半であと28キロという事実が、完走を現実的にさせてくれた。これは完走いける!!と。
そして、今度は400mの下り。七竜峠のように高速ダウンヒルを決行しようとするがここでトラブル。足が全然ついてこない。スピード上げると足が攣りそうになる。速度は出せない。キロ6分ちょいが限度。ここでも貯金を作るつもりがやや貯金を切り崩す形になり、すこし焦る。

80キロ~90キロ

レース中、一番キツかった区間。残り20キロが本当に長かった。。
・34℃の直射日光が常に当り続ける現実。被り水しても3分で乾くw
・想定してなかった(というより事前リサーチ不足)だらだらとした登り坂
・国道沿いで、車がガンガンくることによる走りずらさ
・モンスター、アミノバイタル、アミノサウルスなどのブースト系使いすぎて効果が感じられなくなる
・足の限界。ちょっと走るだけで攣る状態に。(今大会、10回は足攣った)
・軽い熱中症になる。意識が朦朧とする。
悪条件が重なり続けるが、「立ち止まるのは論外、下りは何が何でも走れ」と自分に言い聞かせ、気合で足を前に進める。
それでもキツイもんはキツイ。きつすぎて、ランニング人生初めて泣く。

90キロ~ゴール

残り時間は1時間50分。全部歩くと完走できないギリギリの世界に。
「最後頼りになるのはお前だ。」ということで、本日3本目のモンスター投入。(良い子はマネしないように)

モンスターは、仕事でもマラソンでもぶちあげられる、最高のアイテムです

走ったら攣る状態のため、攣る寸前まで、100mでもいいから走る。それを繰り返して貯金を作る。そのサイクルを繰り返そうと思うが、登り坂が多すぎてなかなかできない。焦る。無理して走る。また足を攣る。その繰り返し。
ずっと時計を見ながら完走できるかどうか計算しながら足を前に進める。それでも、少しでも走った成果もあり、タイム的には余裕が出始める。

96キロ地点で残り1時間。ずっと歩いても完走できる想定になり、心が一気に軽くなる。残り4キロは攣って歩行困難になることを避け、ひたすらに安全に歩くに徹し、余裕があったらちょっとだけ走る作戦で行くことに。
ここまで良く走ってきたな、きつかったなと振り返る。気づいたら陽が傾き始めていた。「スタートもゴールも暗闇かよw」とウルトラの過酷さを改めて振り返ってみて感じる。

そして・・・ついにゴール!!!

18時過ぎ、ついに制限時間を30分残して無事ゴール!
・やばい、本当にウルトラで完走してしまったwwww
・長い長い旅が終わった。。
・100キロ本当に走れてめっちゃ嬉しい!!
そんな嬉しさとほっとした気持ちと感動と、いろんな感情が芽生えた瞬間でした。
ちなみに、一緒に走ってくれたDくんは自分より20分以上早くゴールしたそうです、すごすぎ。ちなみに、彼は血尿が出たそうで、やっぱりヤバイ大会だと認識しましたw

ゴール!!!!

完走後のおまけ

ちなみに、完走後のダメージ半端なかったですww
・38.1℃の高熱発症
・カフェイン基準の3倍くらいとったせいで夜全然寝れないw
・寝れたと思っても走ってる夢見てそれはそれで地獄
・1週間筋肉痛が続く
命を削って走った感がすごかったwww
ただ、いつもは痛くなる関節が、今回は全く痛みがなくて、「これが連動性トレーニングの成果か」とも感動してました。(まだ始めて1か月で感動するなという話ですね、和田さんこれからもよろしくお願いしますw)

走ってみての感想

完走してみての感想をたらたらと。

ゴールは見ずにプロセスを見る

正直、100キロは走れる自信全くなかったです。膝はやばいし、坂道トレーニングしてないし、何より、仕事が忙しすぎて全然走れてなかった(平日は絶対無理)。圧倒的に実力不足を感じていたからです。
だからこそ、まずは30キロ、次は50キロ、70キロいけたら最高、80キロ来たらもう完走いけるやん、と100キロをあえて見ずに関門突破だけを考えて走りました。それが精神的余裕をうみ、レース中の挫折を防げたのかなと。振り返ってみて改めて成功要因として挙げられます。

応援の力はマジでやばい

今回は実家が近いこともあり、両親のサポートが本当に身に沁みました。エイドで誰かが待ってくれていることの安心感はヤバイ。
かつ、レースを遠くから見守ってくれてる人のチャットも、勇気になりました。
そして、地元の丹後の方の応援。こんなに暑い中沢山の人が沿道で応援してくださり、本当に支えにになりました。声かけてくださった人、ウルトラ出走を応援してくれた人、本当にありがとうございました。

プロや文明の力はちゃんと借りよう

正しい体の使い方をプロから学ぶ。最大限のパフォーマンスを発揮するために、サプリメントは惜しまず使う。これ本当に大事だなと。たぶん、どれかが欠けていたら完走はできなかったと思います。ただ、カフェインは計画的に摂取しようと思いますw

高い目標に挑み続けることが大事

実は申し込みの時、60キロでエントリーしようか迷ったんです。でも100キロにして本当に良かった。これはもし完走できていなくても絶対そう思っていました。
それは、自分の価値観として、到達できる低い目標を達成し続けることより、失敗してもいいから高い目標にチャレンジすることの方が何十倍も価値があると感じていたから。
達成困難と思えることに挑み続けることの面白さ、そして到達出来た時の喜びを改めて嚙み締めることが出来た気がします。

やっぱり最後は気合・根性

ここぞという場面で踏ん張る力は、走力も大事ですがやっぱり気力だなと。
元々気力はある方と思ってましたが、今大会で、かなり気力については自信がつきました。これ以上キツイことなんてそうそうないんじゃないかって。気合・根性・コッカラッス。この押忍の精神は仕事でもかなり活きそう。というか、14時間走ることよりしんどいことなんてそうそうないよなあ?!と思えるようになりました。最高。

最後に

100キロ走ったらしばらくはもうウルトラはしない!と走る前、走った直後は思っていましたが、大会1週間経った今、またウルトラしたくなってますww
というか、丹後よりもっといかれてて、クレイジーで、苦しい挑戦がしたいなとww
次は100キロ山走るか、100キロ以上かなとかいろいろ考えてますwということで、今後もまだまだいかれたチャレンジは続きそうです。
長くなりましたが、大会を開催してくださった運営の方々、応援してくださった皆様に御礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。

きしもとの挑戦は、まだまだ続きます。


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