若者言葉は是が非か
先日、若者の使う『エモい』という言葉のマインドの素晴らしさについてnoteを書いた。
これからの時代を創っていく、若い人間の感覚や意見を理解していく事は、色々な学びがあるので、非常に大切だと思っている。
その一方で、若者の使う『それな』や『やばい』『りょ』などの、LINEやSNS文化の発達により使われる様になった、一昔前で言うところの、ネットスラング的な言葉に違和感を覚える事がある。
今日はそんなお話し。
何処までいっても言葉は通じない
以前にも書いた内容になるが、人間の思考の中では、抽象的なゴールがあり、それを達成するために、具体的な手段をいくつも積み重ね、ゴールを目指すと言う様な物事の流れの中があると思っている。
その、ほとんどの場面で、思考が『抽象的⇆具体的』と行き来していく中で、言葉の意味は自分と相手の中ではズレた認識で共有する事となっていくと、私は考えている。
短い言語で端的に物事を伝える事が、果たして是が非か分からない事があると思っている。
ビジネスにおいて、相手の時間を奪わない為にも、端的に要件のみを伝える事を求めら事を求められたり、LINEや SNSも極限まで言葉を簡素化したりする状況がある。
私は『端的に伝える』事だけでは、文字でのコミュニケーションでには限界があると思っている。
設計役を背負う人が必要
例えば友人達5人で、飲み会をするとしよう。
皆んなが端的に連絡を取ってもなかなか日程が進まないと思う。
5人のうちの一人が、設計役を担うと、こんな連絡がくる。
皆んな土日休みだと思うから、金曜の19:00〜で日程仮押さえしました。
① ○月○日
② ○月×日
③別日
会場:@@@屋
たった一人が設計役を担うと、残り4人は
①か②か③の端的な返信のみで済むのだ。
そう、文字で端的なやり取りをする際、誰かが設計役を背負う事が、重要になってくると気がついたのだ。
設計役を務める
友人との連絡に限らず、仕事での社内連絡や、取引先との連絡、様々な場面に置いて、設計役を務める必要が生じる事がある。
全てに置いて、設計役に回る必要は無いが、上司や取引先に対して設計済みの連絡をすると、非常に仕事がやりやすい相手と認識される事になるであろう。
出来るだけ端的に分かりやすく物事を伝える事が出来るのは理想的ではある。
だからこそ、誰か一人が、設計役を意識して周囲に気を配る事が重要となる。
その行動は、相手に心の矢印を向ける練習になる気もしている。
便利に端的に伝える事が当たり前の時代に、設計役を意識して、周囲と差をつけるトレーニングをスタートしようと感じている。
そうすれば気が付いた時に、周囲の多くの人に必要とされる人間になっている気がした。
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