夏休みの宿題
我が家の子供達は、私が子供の頃より100倍優秀だ。
なぜなら、夏休み最終日に宿題をやっていない。
彼らは計画的に宿題を行い、最終日には翌日からの学校という事実に目を背けながらアニメを見る余裕があるのだ。
一方私が子供の頃には、夏休み最終日に、毎年恒例の行事かのように…
死んだ魚の目で机に向かい、新品の問題集と回答コーナーを交互に眺めながら、問題集の空欄を埋めていく作業を行う少年だった。
その過程には大きな差があるが、本来の目的を冷静に考えた時、私の子供の頃と、今の息子達にはそこまでの大差がないと感じている。
自分を擁護するわけではないし…
過程においては、明らかに息子たちの方が優秀な事も間違いない。
私の幼少期より格段に多くのものを得るだろう。
しかし『目的ベース』ではそこまで大差がないと思う。
なぜなら、彼らも、私も、問題集の解答欄を埋める事が目的で夏休みの宿題を行ったからだ。
学校の宿題や、会社での仕事も同様だと思うが…
様々な場面で行われている、先生や上司から受ける『指示』は実行して終わりでは無いはずなのだ。
実行自体は目的ではなく、手段のはずだが、実行する事だけにフォーカスしてしまうと、得られるモノが格段に減る。
宿題であれば1学期までに学んだ事で、出来なかった事があれば、出来るようにしておくし、分かっていたことは再度復習しておく。
職場なら、その作業が会社の利益にどうつながるかを理解して+αを提供しなければ、ただの作業で終わってしまう。
その指示における『作業を行う意味』の本質が目的であり、それが実践できていないのであれば、ただ時間を切り売りして、言われた作業を行ったに過ぎないのだ。
結果として、得るものは限りなく目減りして、極めて無駄に近い時間で終わってしまう可能性が高いのだ。
様々な場面である、『指示』に対して…
行動の目的は何?手段は何?
という事が、意外と理解できていない人は多い。
私も目的と手段を混同する事がいまだに、よくある。
目的を理解して、同じ時間の稼働をするなら『作業』では無く『学びや成長』という成果を得ながら、学校や職場での『指示』を受け取れる様な生き方を意識的にしていきたいと感じている。
その為に目的と手段をしっかり整理して、面倒くさいとか好き嫌いと言う発想では無く、自分が成長する為の、取り分が多くなる様、本質的に必要な事を理解するところからスタートして、学びや気付きを多く得る様な行動を意識的にしていく必要を感じている。
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