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【子育て難しいんじゃ】近所のラーメン屋

子供時代、近所のラーメン屋に家族で行くのが大好きだった。

どこにでもあるようなお店ではなく、その地域に根ざした中華系の店なのか何なのか、正体はよく分からないし、今で言う食べログとかに載っているのかもよく分からないようなそんな店だった。

クッキングパパがまばらに並び、最新のジャンプが飛び飛びに並んでいる。美味しんぼもある。

それを眺めながら、いつものメニューを頼む。私はチャーシューメン大盛り。母はもやしそば、父はもやしそば大盛り、あと何か。兄達は私より年上だったからか色々なものを試していたように思う。兄達は定型のメニューがなかった。なかったような気がする。全く思い出せない。

あと、家族で餃子2枚。五人家族で餃子が2枚。私は算数が苦手ではなかったが、いつも3つ以上食べていたような気がする。割り算ができなかったらしい。というのも、いつも母が譲ってくれていた。

ありがとうとかそんな感情がない子供ならではであるが、母の「私はお腹いっぱいだからお食べ」なんて言う台詞。

これをセカンドを守る内野手の如く大手を広げて「バッチこいやー!」と受け止めていた私の配慮のなさに顔が一周回って青くなってしまう。自分の胃袋の大きさは自分でわかるもんなのにね。でも私はそれを美味しく食べていたし、なんなら母のもやしそばも頂いていたような気がする。どこまでわんぱくなんだか……

家族の風景とは人それぞれであるが、近所の中華屋で餃子を頼んで分けるような風景が最大限の家族の絵と認識している自分にはどうも向上心というのが見えないと感じている。

ファミレスでも何でもいい。なんか家族みんなの好きなもの、そしてたまにの遠慮と図々しさが交錯する中でのみんなが分ける食べ物。そんなものが卓に並び子供は無邪気に食べ、そんな姿を見て分け与える親。


こういうことやれれば、もう十二分に幸せなものを伝えられているだろう…


なんて思ったりはするものの、おそらく当時の父と母にそんな重い感情はない。「なんか、飯作るの大変だし、たまには外食でもするっぺ」なんてテンションだっただろう。まぁ普通そうだよな。


ただ家で酒を飲む父は外食時、ビールを飲むことは全くなかった。母は運転があまり得意ではなかったから、そういう事を多少は気遣える男だったのだろうか………これは考えすぎだな。うん。


親は常に子に幸せを願うものだ。しかし、幸せとは何だろうか。おそらく…現時点でプリキュアのおもちゃを与えられるあたりが最高潮の幸せであることは普段の言動からも感じている。そういうことではない。と決めつけたくもないが、押し付けがましいのも良くないし。



国道沿いのくるまやラーメン。

そこに入り、ラーメン、定食、餃子を頼む。

まだ子供が小さいのでやけどが心配だ。
小さい皿に取り分けながら少しづつあげる。

美味しいか?と聞くと。
「うん!すごい美味しい!」と答える娘達。


くるまやラーメンは美味しい。私は味噌ラーメンが気に入っており、とりあえずネギ味噌にしてしまう。辛くなると子供が食えないのに。ので、妻が辛くないのを頼む。


いちいち外食にそんな事を考えないだろう。普通。ただ自分の小さい時は外食は全裸になるぐらい喜んだものだ。実際全裸になってないが、テンションの問題だ。


うちの子供も烈火の如く喜ぶので自分の心理が重なる。まぁそりゃそうだよな。家のご飯とは違う、あの特別感がいいんだよな。

くるまやラーメンは好きだ。本当に美味しい。私が小さい頃行った店はくるまやラーメンではないのだが。

子供達はここに来た事を覚えているだろうか、ラーメンが美味しかったと覚えているだろうか。

伝えたいものはラーメンの味ではなく。掠れまくった看板と手書きのメニュー。タブレットではなく、プラ板を持ちながらあぁでもない、こうでもないと考えすぎる両親の表情と。一つの皿に乗った餃子を順々に箸を伸ばし食べる光景だったりする。


壁に書いてある手書きのメニューを眺めながら、自分の小さい時のことを思い出していた。


まだあの店はあの場所にあるだろうか?
今一人で行ってもあの時と同じ気持ちになれないだろうな。

食べたいけど、食べたくない店になってしまったな。悲しい。

一回でいいから娘達が大きくなったら車で連れて行って、餃子をみんなで分けて食べてみたいなと思った。その話を両親にしてみたいな。

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