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【子育て難しいんじゃ】幼稚園時代の母の弁当

子供の好き嫌いはどの家庭にもある話であり、我が家の子供達は正直なところダイソンも真っ青な程に食べ物を吸い込んでいく。


どんな野菜でもただ一つの吸引力で口に収めていく姿は圧巻である。頼むから…もっとよく噛んでくれ。



でも子供だから緑色の食べ物とかには当然反応する。苦い、臭い、苦手、子供として当然の反応だ。

しかし、こと野菜を愛しすぎた結果、実母に「虫みたい…」と言われるまでに野菜を喰らう妻は容赦がない。



容赦がないを超えて鬼畜の所業と言わんばかりにこれでもかと美味しそうな野菜料理が並ぶ。

あの手この手で野菜を食べさせてもらう彼女の執着はさながら、「寝てる間に少しずつ野菜を口に含まされてる」とか「今飲んだお茶…野菜を粉末にして入れてあるんじゃよ、ヘェッヘェッヘェッ…」とか言い出しそうで正直怖い。「じゃよ」とか語尾につけないでほしい。


あらゆる食材を食べることは可能性を広げることであり、今後生きていく中での食べ物との出会いを広げるものだ。彼女たちは世界を広く捉えられるようになってほしい…

………ちなみに妻は一言もそんなことを言っておらず、私がそう解釈しただけである。

妻は栄養のことを考えて…と言いながらあらゆる食材を出す。彼女から一度も栄養に関する情報を得た記憶はないのだが。栄養の事を考えてはいるらしい。

「いろいろ食べれば身体にいいかもしんまい」ぐらいのことで行動を確定するのがウチの妻のいいところであり、正直悪いところでもある。
ビタミンのビの字も発したことはない。カルシウムのカの字も発した事がない。「野菜は身体にいい!!!」という圧倒的な語彙力。ベジタブルイズパゥワー!!!愛されキャラっていいなって思う。

ゆでた草や根っこにダイレクトマヨと言う見た目に子供達は口を見たことのないフォントの「への字」に仕上げ、野菜たちを拒否する。

でも他の子に比べれば相当色々な野菜を食べている。好き嫌いがないと言っていいくらい食べている。


全く食べなきゃ大きくなれないぞぅ。

なんてことは言えない。私自身が子供の時に好き嫌いが激しすぎたからである。

小さい時に野菜を口に入れた記憶はほとんどなく。米と肉と芋と牛の乳ぐらいしか口に入れた記憶がない。私の命を繋いでいたのはじゃがいもだった。

他のものが出た時はどうしたって?残したか、泣きながら口に入れてオェェ…って言いながら食べたり、文字通り鼻を摘んで口に入れて飲みこんでいた。

丸呑み。おかげでどう言うわけか喉力が高く。咀嚼がどれだけ少なくとも飲み込める体質になってはいるがまぁこれが役に立たない。

と言う話はよくて、私が小さい時に今の世にいたらメディアにクローズアップされるか、山奥に生息する奇妙な生命体みたいな特集組まれるレベルで偏食だったのだ。文春砲受けてたと思う。生きてるだけでスキャンダリズム。

だから元奇怪生命体である父からすると娘たちは十分やっている。これで好き嫌いは良くないと言われてしまうとなると自分だったらどうなっていただろうと背中に冷たい汗が流れる。


私の母はそれで非常に難儀したそうだ。でもまぁ元気だからいいか。と諦めたらしい。

確かにこれを食えと怒られたことはない。というか多分自分がそれ以上にわがままだった事が予想できる。あれだけ丹精込めた料理を「食べたくない」なんて真顔で言われた日にはしゃもじの持ち手で喉を貫きたいぐらいの衝動だったろうに………

なんか親に謝罪の電話を入れたいぐらいの気持ちになってきている。ごめんよ母。

元々やった自分の罪を棚に上げて「お残しはゆるしまへん」なんてほざいた日には時空の歪みから過去の俺が出てきてグーパンされる気がする。「どの口が言ってんだテメェ!!!」なんて具合だ。多分子供に謝っちゃうね。ワタシ。

ちゃんと食べなくてもいいわよ…でもそんなこと言った日には妻からグーパンで拳が漫画みたいに顔面にめり込むでしょうな。うん。

なので口が裂けてもそう言うことは言えない。
お父さんからも何か言ってくださいなと言う妻の表情を見てもそれだけは言えない。結果グーパンだし。

好きも嫌いも個性だと言うと怒られてしまうのだろう。ふと振り返ると、私は小さい時、美味しそうに私の苦手なものを食べる皆を見ていつも羨ましいと感じていた。

圧倒的食べられるものが少なく、残すと言う罪悪感と周りと違う行動をとる恥ずかしさにいつも苦しんでいた。幼稚園で出された食べ物はどれも食べられなかった。


だから家に帰って好きなものを腹一杯食べた。たくさんおかわりした。だって外で食べられなかったから。

母の料理が大好きだった。いつも自分の好きなものを出してくれた。「アンタはほんとによく食べるね」なんて言ってたけど、外で全然食べられないなんて怒られそうで口が裂けても言えなかった。そんな時期の週に一回、家から弁当を持っていく日。その弁当の構成は今でも忘れられない。

ウインナーと甘い卵焼き、チキチキボーンに、大きなおにぎり。ほぼこれ。

みんなと一緒にご飯を食べられた。いつもつまらなそうな顔をした自分が週に一回。ご飯の時間に俯かなかった時間だ。夢中で食べすぎて食べるのがいつも早かった。美味しかった。毎日家の弁当だったらいいのにな。と、よく呟いていた。

お弁当のおかずを交換するなんて話が出た時、私は何一つ交渉に応じなかった。世界で一番好きな弁当。これ以上ない幸せな時間をくれる弁当。なんでお弁当ってなくなってしまうん…と言う弁当。ケチと言われようが、私は全力で母の作る弁当を独り占めしたかった。無理矢理交換を強要された時何か泣いた記憶がある。情けないったらありゃしないが、当時の心境を察するに、アレは泣く。

一人ぼっちで寂しい思いをして辛かった自分を助けてくれていたあの弁当を超える弁当はないなぁ…

……まぁ野菜ちゃんと食えばそんな事なかったんだけどさ。あれ…美味かったなぁ。

子供の好き嫌いを眺めるとそんな事を思い出す。ちょっと泣きそうになる。

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