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クロチアゼパム日記⑥ この国の仕組み 2024/8/4

 記録的酷暑の日、妻を病院から連れて帰ってきた。これからも治療は続くが、10時間を超える手術、40日余りの入院を乗り越えてくれたことがありがたく、胸が一杯になった。今回、妻は縁故や裏金に頼ることなく、最新最善の治療を受けられた。我が国の医療制度、健康保険制度の恩恵を十分に授かったのだ。確定申告し始めて5年、僕は税制度の複雑さに悩ませられると共に、社会保険料の大きさに腹を立てていたけれども、健康保険が無かったら、僕ら夫婦はどうなっていただろうとも思った。
 僕たちだけでなく、国民は公(おおやけ)の仕組みのなかで生活している。複雑な税や助成の制度も、救済を必要とする人への手当を全体の公正と合理性を保ちつつ実施するための苦肉の方策なのだろう。つまり、なんだかんだ言ったって、行政機構が国民の暮らしを支え守っている。地域レベルの行政サービスはもとより、国全体の施策も行政機構がつかさどっている。ほとんどの法案は省庁が起草しているらしいし、その運用基準や政令も各省の思惑次第である。与党審査や国会審議を経るとしても、法律の起案と実行の主体は行政であり、国会は省庁による施策の追認機能に過ぎない。腰掛けの大臣がその省庁に及ぼせる力は限られているし、むしろトンチンカンなことをされない方が良い。我々は行政システムが機能することに頼って生活している。
 もちろん、現在の行政システムが万全であるとは思っていない。脂肪がついていて効率的ではないと思うし、中央省庁の高級官僚が国家国民のことを真剣に考えているのだろうかと疑念を持つことも多い。かつて、橋本首相の時代に行政改革があった。行政機構のスリム化を狙った省庁再編であったと思うが、なにがどのように良くなったのだろうか。安倍政権の内閣人事局もその意図に副った状況になっているのだろうか。 議会政治、政党政治、選挙による政権選択は極めて重要であることは間違いないのだが、政治・議員内閣が行政システムを統治しきることなど不可能だし、風に乗って生まれた政権に行政が右往左往させられることも好ましくない。つまり、政治・議会の健全化が必要であるとしても、それはそれとして、行政システム自体がちゃんと動いてくれること、体質の変換が今も昔も必要だと思うのだ。特に財務省が実質的に国を支配する構造、その力によって為されることと為されないこと、もっと言うなら目指すところが健全でないと僕は思う。財政健全化も当然の志向ではあるが、積極財政や減税が検討の俎上に上がろうともしない硬直した体質は、とても残念なことだ。政権交代で実現できることは限定的だ。確かに予算成立には国会の多数を必要とするが、財務省の協力(同意)がないと予算案は作れない。各省庁は予算編成権・主計官によって政策立案に制約を受ける。加えて財務省は、税制と徴収(税務調査)を委ねられており、圧倒的な力を有している。権力を財務省から政治(時の政権)が奪い取る試みはことごとく失敗している。明らかに合理的と言える歳入庁など決して出来ない。報道機関は、ジャニーズ事務所同様に財務省に対する批判は一切しない。つまり、財務省は外からの力でどうこうできるものではないのだ。
 話は変わるが、政治家(議員)の世襲は良くあることである。これは、子が親の仕事の魅力(うま味)を認めていること、引き継いだ後にその職務をこなせるということである。本来、最も厳しいハードルである選挙をも、地盤、看板、鞄で乗り越えることができ(鞄は継承できないように法整備すべきだが)、その後議会での仕事ぶりを問われることがないから、凡庸な世襲議員が存在してしまう。それに比べ、親子二代の事務次官とか局長といった話は聞いたことがない。親がキャリア官僚なら、その子供らも学習能力が高く、相当な割合で東大に合格し、キャリア試験をパスする力を有していると想像できる。しかしながら、子供らは親のような人生を志向せず、また親もほかの分野での成功を望んでいるからなのだろう。重ねて言うが、今の行政システムや高級官僚の無為さは宜しくないと僕は考えている。それでも、難関大学に入り、キャリア試験で高得点を取れるということは、優秀であるに違いないと言わざるを得ない。丸の内の名門企業の役員もほぼ約束されるし、外資系投資銀行や戦略系ファームでの破格の処遇も得られるであろう。それでも、彼らは長時間労働やストレスフルな職務、優秀な同僚との競争を百も承知の上で、公務員を志向するのである。それは、己の優秀さを証明したい、大きな権限を振るいたいというようなところもあるだろうが、根底には国家国民に尽くしたいという崇高な思いに因るからに他ならない。自衛官や消防官と同じように、職業上のうま味ではなくて 公に尽くすことを選んだ人々なのである。この崇高な志を持った優秀な人たちを、まず国民は尊敬し大事にしなくてはならない。
 国家国民が官僚を大事にすれば、彼らもその志を全うすべく、この国を正しく運営し、子孫のためになる仕事をしてくれるはずである。行政システムの合理化・高度化も自身の手によって為されるに違いない。(選挙に勝てるだけの凡才達に、官僚機構にメスを入れることなどできない。メスを持つ前にその手を切られてしまう。)  官僚を大事にすることとは、その能力と責務に見合うだけの処遇を供することである。天下りによって帳尻を合わせるなどという浅ましいことを彼らにさせてはいけない。キャリア官僚はこの国の将来を左右する重要な国家資源である。毎年の採用も財務省で50名、技官や外交官も含めたキャリア全体で700人ぐらいのものでしかない。公僕として国家国民のための仕事に専心してもらうために、とびっきりの処遇を準備するのが国家全体として合理的であり、安上がりであると、僕は思う。

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