大崎上島「ミカタカフェ」はどこから来たか
10年後のビジョン。ニガテな質問。
「10年後のビジョンは?」
オトナになるとこういう質問をされることが増える。
誰が最初にこんなしょうもない質問をし始めたんだろうか。
******************************
瀬戸内海の離島・大崎上島で「ミカタカフェ」という場所を運営しています。
2021年9月にオープンをしたので、もうすぐ2年が経つ。
「10年後にミカタカフェは閉めます。ミカタカフェがあってもなくてもいい地域になることを目指して、ミカタカフェを運営していこうと思います。」
半分はニガテなあの質問に答えるのがめんどうで、半分は本当にそう思っていて、
そんな風に宣言してから始めたのがミカタカフェだった。
あと8年ちょっとしかない。
「高校生たちの出会いの場所をつくろう」
2021年1月26日。
仕事場のコピー機の前でそう思い立った。
新しいこと始めようと思い立つのはだいたい車の中か、シャワーの下か、コピー機の前だ。
たぶん10時40分くらいだったと思う。
お金はないから、どこかの空き家をお借りするしかない。そう思ってぷらぷら歩き始め、「この家がいいよな」と写真を撮ったのが10時52分。
約1ヶ月後、結果的にこの場所をお借りできることが決まった。
30年近く閉まった、元パン屋さんだった。
カフェ併設型の居場所をつくろうという構想も、なんとなく決まった。
「ダマサレマシタ」
ミカタカフェの真横にある県立大崎海星高校。
全国から生徒募集をしているこの学校では、全体の半分近くの生徒が寮生活や下宿をしながら学校に通っている。
子どもの数がじりじりと減っている離島・中山間地域では、地域外から生徒募集をしないと学校の機能・存在を維持できない(可能性がある)。つまり統廃合に直面することになる。
生徒の全国募集を始める高校は増えている。
「その地域でしか出会えない人がいる。」
「その地域でしか作れない思い出がある。」
「その地域だからこそできる学びがある。」
そんなキラキラしたキャッチフレーズに心を躍らせ、毎年4月に海の向こうから新入生がやってくる。15歳の子どもが未知な世界での暮らしを決断するのは、素直にすごいことだと思う。
ただ、そんなキラキラな期待を打ち砕いたのは、ご多分に洩れず「コロナ」だった。
「ダマサレマシタ」
ある高校1年生がつぶやいた。
学校はたびたび休校になり、寮の自室から出られない時間が積み重なり、ここでしか出会えないはずだった人とはぜんぜん出会えないじゃないですか、と。
「コロナのせい」と言えばそれでオワリだけど、
彼をダマしたのは自分自身でもあったように感じた。
来年度の新入生に向けた説明会で、
コロナ禍前のキラキラキャッチフレーズを、恥ずかしげもなくそのまま語っていた自分は愚かだった。
何かしなきゃと思った。
そんなこんなで、高校生たちが地域のオトナたちと自然にアタリマエに出会える場所をつくろう、とコピー機前での決心につながる。
「ミカタカフェ」はどこからきたか
なんで「ミカタカフェ」という名前をつけたのか。
それを忘れず残すためにこの文章を書き始めたことを忘れそうになる。
長い前置きを終えたい。
「ミカタ」という名前は、卓球アニメ「ピンポン」から来ている。
主人公ペコは、いつもテキトーで、自信マンマンな感じで、ワードセンスが独特で、それが自分とは真逆だなぁと思う。だからこそ惹かれる。
自分はいつも笑わないスマイルかもなぁと思う。
あるいは余裕がなくいつも誰かに対抗心を燃やしているアクマだよなぁと思う。
ペコには憧れの感情がある。
ちょっとネタバレになるけれど、
スマイルは実は笑わないからスマイルなんじゃなくて、卓球をしている時だけ笑うからスマイルと呼ばれ始めたんです。
卓球がずば抜けて強いペコは、スマイルにとっての唯一のヒーローだったんです。
そんな二人をつなげたのは、卓球道場タムラであり、そこを運営するオババだったんです。
(よく分からないと思うので、アニメをぜひ)
大崎上島に卓球道場タムラを作ろう、オババになろう、と思った。
「ダマサレマシタ」と笑わなくなった彼が、ヒーローと出会える場所を作らなくては、と思った。
正義のミカタになれる大人は、大崎上島にはいっぱいいるから、あとはその場所とキッカケだけ作ろうと思った。
「ヒーローカフェ」ではなく「ミカタカフェ」にしたのはただの勘違い。
「正義のミカタがやってくる。」というフレーズがなんとなく印象に残っていて、あらためてアニメ・ピンポンを見返したら、そんなフレーズはいっさい出てこない。
「お店の名前は”ミカタカフェ”にする。
誰もが誰かのミカタになれる。そんな場所にしていく」
一緒に準備を進めていたメンバーに照れながらもそう宣言していたあとだったので、もうミカタカフェでいくしかない。
「しまった」と思ったが、しかたない。
これがミカタカフェの由来になった。
8年後のミカタカフェ
ミカタカフェが閉まるまで、あと8年。
「ミカタカフェ、もうなくても大丈夫。」
そう言われる状況は、どんな状況だろうと想像する。正直、まだ見当もついていない。
(もちろん、ミカタカフェは島になくてはならない存在だ、とかそんなおこがましいことは思ってないです)
「一度灯ったあかりが消えると、島の人はガッカリするんよ。
だから始めたら続けなきゃいけないんよ」
そう教えてくた島の師匠の声も甦る。
「いや、10年は続けますよ」
ムキになってそう返したあの日を思い出す。
思えばあの瞬間がこの勝手な10年しばりのハジマリだった。
いや、続けていくことだけが目的になっちゃいけないですよね、と思う。
生み出し続けることを目的にして、新しいことを始め続けたいじゃないですか、と問うてみたい。
いや、でも今は続けるだけで精一杯ですわ、と弱音を吐きたい。
どんな答えが返ってくるだろう。
島の師匠はもういない。思えばあの人はペコのような人だった。
自分で考えるしかないし、初心を思い出すしかないし、新しい仲間を作っていくしかない。
「ヒーローなのだろうが!!」
自分にそう言い聞かせながら来週もコーヒーを淹れ続けよう。
子どもたちと一緒にダラダラと時間を過ごし、遊んで、学んで、笑い続けよう。
ミカタカフェは日本財団「子ども第三の居場所事業」の助成を受け運営しており、来年度からの自立運営を目指しています。
ご寄付をいただける場合はどうか下記よりお願いいたします🍋
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?