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Katsurao AIR アーティストインタビュー vol.3 村上郁さん

アーティストが葛尾村に滞在してリサーチや制作を行うアーティスト・イン・レジデンス・プログラム「Katsurao AIR(カツラオエアー)」。11月の1か月間は、3名のアーティストが葛尾村で暮らし、それぞれの視点から制作に取り組みました。11月24日(金)から26日(日)の3日間は葛尾村復興交流館あぜりあと、葛尾村立葛尾中学校校舎にて活動報告会を開催し、たくさんの方にご来場いただきました。また、11月17日(金)には、葛尾村を飛び出して大熊インキュベーションセンターでのアーティストトークを実施。これまでの取り組みや、制作過程のなかで思うことについて語っていただきました。ご来場いただいた皆様、誠にありがとうございました!本稿では、滞在アーティスト 村上郁さんのインタビューをお届けします。(聞き手:Katsurao Collective 阪本健吾)

MURAKAMI Kaoru
村上 郁

2008 Central Saint Martins College of Art and Design, BA Fine Art 卒業

日常の中にあり、互いに呼応しあう不安定なものとしての事実と認識、たとえば勘違い、思い込み、意味の多様性、翻訳の不可能性などから着想を得て制作をしている。 大学において、銅版画制作の反転したレリーフを正転した画に転換する作業工程から、3Dを2Dに変換すること、そして逆さまに物を見ながら作るという技術を学ぶ。その後は表現の場をインスタレーションに移し活動している。 近年は記憶を象徴するものからその景色を掬い取っている。光る電球の中に古絵葉書の風景と、絵葉書を書いた人のメッセージを浮かび上がらせて、他者の記憶の扱われ方と、それを眺める人の関係性を探る《電球都市》など、作品に力学の要素を取り入れたものや、照明にまつわるものを用いた作品を制作している。

―村上さんは東京在住ですが、ご出身も東京ですか?

 出身も東京です。医学系のイラストを描く仕事をしている両親のもとで、無邪気に育ちました。両親の仕事を身近で見ていたので、何かをつくる仕事をしてみたいと思うのは自然な流れでした。他の仕事のイメージがわからなかったということもありますね。

―美術学校に進むにしても、映像、彫刻、絵画などたくさん選択肢があると思うのですが、ご自身の専攻はどのように選んだのでしょうか?

 小さい頃から、両親が家に揃えていたたくさんの映画を観ていて、その中にカレル・ゼマンというチェコのアニメーション映画監督の作品がありました。エングレービングという銅板に線を彫る版画の技法を使ったアニメーションを使ったもので、それがすごく好きでよく観ていたんです。それに影響されて、版画を専攻することにしました。
 銅板を選んだので、戦争が起こると材料が高くなるし、金属の板なのでカットするのも大変だし、重いし。同じ版画でも他の人たちは木版やリトグラフで、扱いやすそうで羨ましかったですね。銅板を扱う人はいつも金属の粉をかぶって、リグロインとか灯油とかを使うので、つなぎを着て、ガスマスクを着けて作業していました。「女子大生ってこんなんだったっけ……」と思っていましたね(笑)。片手にはベルトサンダーを持って「ヴィィィイイイン!」みたいな(笑)

―強そうですね(笑)美大卒業後はどのような進路をとられたんでしょうか?

 そのまま版画の世界で大学院に進んでもよかったのですが、当時の私としてはおもしろく思えなかったんです。前々から留学してみたいという思いがあったので、ロンドンのセントラルセントマーチンズという大学に行くことにしました。日本とは全く違う環境で、洗礼を受けましたね。英語もそうですし、作品をつくることに関しても、自分が何を考えて、何を出発点につくろうとしているのかということを言葉にする訓練をしました。そういうことは日本ではやっていなかったので、おもしろかったですね。

―その後、アーティストとしてポストカードや電球を使った作品などを制作されていますが、今回は折り紙に着目されました。なぜ折り紙だったのでしょうか。

 葛尾村に滞在することが決まったとき、Katsurao Collective事務局から『りりりのり』(移住定住支援センターの事業で葛尾村が発行)という冊子をお送りいただいたのですが、その第2号の表紙をめくったところに、丹伊田さん(葛尾村在住)のお家の折り紙の写真がありました。最初は折り紙かどうかもわからなくて、綺麗な飾りだなと思って少し気になったんです。創刊号の巻末に、避難生活でみなさんが折り紙を折って作品を作っていたことが書いてあったので、おそらく折り紙ではないかと推測しました。結果的にその推測は合っていましたね。

震災後に葛尾村から避難した村民のみなさんが没頭した折り紙を追体験する機会をつくり、復興交流館あぜりあに訪れた人々とともに作品を作り上げていった

 私がなぜ折り紙に執着したのかというと、それには幼少期の記憶が関係しています。小学校3年生のときに、病気で3か月間入院生活をしていたことがありました。動けなくて、暇でしょうがなかったんです。みんな学校の勉強が進んでいるんだろうな……と思いながらぼーっとしているのが、置いて行かれているようで、辛くて。それで、折り紙で、人の形をした「やっこさん」を作り続けたんですね。たくさん作って、親に気持ち悪がられたりして(笑)。
 動けるようになったら、折り紙もしなくなって。たくさん小さい人型の折り紙を折って気持ち悪かったね(笑)、みたいな家族の笑い話になったんですけど。避難先で折り紙を折るという行為が、私の過去の状況とは比較はできないと思うんだけれども、つながる部分はあるなと思ったんです。私自身は小さい頃のことなのですっかり忘れていたんですが、一旦忘れたことをもう一度思い出すという意味で、ここでもう一度折り紙をやってみてもいいのかなと。いろんな人に折ってもらうことで、折り紙を折るということはどういうことかというのを、みんなで体験してみてもいいなということで、たくさんの方に手伝っていただきました。
 この地域でお話を伺うと、避難したときの話が自然に出てくるんですよね。それは、体験したことのない人には想像しきれないところもあって。それを理解しようと思ったときに、無理やり話を聞くのもなにか違いますよね。だから、あえてその状況にいた人と同じ行動をとってみる。私にとってはそれが入院の経験ともつながっていて、他者と同じことをするとか、忘れたことを思い出すとか、そういう試みだったと思います。

―他者のことも過去のこともすべて理解することは難しいですが、行為を通して想像することはできるのかもしれませんね。11月末時点で作品は未完成の状態ですが、完成した作品のお披露目を楽しみにしています!

同時期に滞在した大槻唯我さんと

アーティストインレジデンスプログラム「Katsurao AIR」

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村上郁さんアーティストトーク インスタライブ

村上郁さんInstagram Katsurao AIRに関する投稿

村上郁さんホームページ

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