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Katsurao AIR アーティストインタビュー vol.2 カルティカ・メノンさん

アーティストが葛尾村に滞在してリサーチや制作を行うアーティスト・イン・レジデンス・プログラム「Katsurao AIR(カツラオエアー)」。11月の1か月間は、3名のアーティストが葛尾村で暮らし、それぞれの視点から制作に取り組みました。11月24日(金)から26日(日)の3日間は葛尾村復興交流館あぜりあと、葛尾村立葛尾中学校校舎にて活動報告会を開催し、たくさんの方にご来場いただきました。また、11月17日(金)には、葛尾村を飛び出して大熊インキュベーションセンターでのアーティストトークを実施。これまでの取り組みや、制作過程のなかで思うことについて語っていただきました。ご来場いただいた皆様、誠にありがとうございました!本稿では、滞在アーティスト カルティカ・メノンさんのインタビューをお届けします。(聞き手:Katsurao Collective 阪本健吾)

Kartika Menon
カルティカ・メノン

2022 情報科学芸術大学院大学 IAMAS メディアアート表現 修了
2016 商学部卒業、インド

2016年にインドで商学部を卒業して、2017年から日本の一般企業で3年経理の仕事を続く。2020年から「当たり前、記憶、トラウマ」などをキーワードに作品展示や表現始める。フィールドワークを取り入れ、オートエスノグラフィーの研究手法で、自分が暮らす地域の場所、人、事件などの記憶を記録している。これらの記録やデータをもとに、切り絵、紙、光や影を使ったインスタレーション作品や映像作品を制作する。 今まで、愛知県、京都府、岐阜県、福井県で展示を行なってきた。

―カルティカさんはインドのご出身ですね。今回はチャイを村民のみなさんに振る舞うなど、飲食がひとつのコンセプトでした。生まれ育ったところはどんな環境だったんですか?

 生まれ育ったのはマハーラーシュトラ州というところなんですけれど、両親は南インドのケーララ州というところの人なので、ケーララの料理を家で食べていました。南インドはお米がメインで、北インドはチャパティとかナンとかなので、全然違うんです。家の中では南インド、外で食べたら北インドの料理でした。チャイは、北も南も共通でしたね。父がクリエイティブな人で、家具や服を自分で作ったりしていて、私もつくることが好きで。それで、アーティストになりたい!と思っていたんです。

―家では南の料理、外では北の料理……不思議な環境ですね。そして、高校からは違うところへ?

 はい。プネーという、ムンバイの近くの街で下宿していました。インドでは、高校時代に優秀だったら、エンジニアになるかドクターになるか、みたいなところがあって。試験をがんばっちゃったから、「成績が良かったから、この子はドクターだね!」って、大変なことになって!(笑)アーティストになりたかったから、それには絶対反対したいなと思って。親と喧嘩して、ドクターにはなりません!と言いました。かと言って、アーティストが周りにいるわけでもない。つまり、アーティストになるためのアドバイスをもらえるような環境ではなかったんです。それで、経済を学びます、ということにして大学に進学しました。統計学を専門にしたのですが、ずっとわからなかったですね……。勉強よりも文化祭でスポンサーを集めて回ったりとか、社会と繋がっている実感が持てる活動のほうが楽しかったです。大学でのテストも、いい成果を出しすぎるとよくないから、たまにわざと0点を取ったりして(笑)

―優秀でふまじめな学生さんだったんですね(笑)

 卒業後は企業に就職する人が周りには多かったんですけど、私は言語学校に行って、一番難しそうな日本語を選びました。フランス語とかドイツ語ってアルファベットだから、読めるじゃないですか。日本語は時間がかかるからいいなと思って。日本語を学びながら、どうにか大学の卒業試験もパスしました。
 その頃、日本の会社を紹介している人材紹介の会社があって、日本にツアーを組んでいたんです。内容は現地でとにかくたくさん面接を受けるというものだったんですが、単純に日本に行ってみたくて参加しました。日本で働くなんて思っていなかったけど、1週間無料で日本に行けるというので、軽い気持ちで。そうしたら、1週間で10社面接があって。

―1週間で10社!?

 はい。9社は落ちたのですが、最後に受けた会社だけ合格しました。自動車関連の会社だったんですが、「自動車に興味ありますか?」「ありません」「うちの会社知ってますか?」「知りません」って言ったら、なぜか合格で(笑)。正直なところがよかったみたいです。それで日本に来て、その会社の経理部門で働くことになって。アートをやるなら自分のお金でやるしかない!と思っていたので、働いてお金を貯めて、岐阜県大垣市のIAMAS(情報科学芸術大学院大学)に入りました。
 入学には誰かからの推薦状が必要で、人間関係がないとアートの世界に入れないような感じがあって、どうしようかなと思っていたんです。展示の実績なんてまだないし、推薦状を会社の経理部長に頼むわけにもいかないし(笑)。IAMASの試験は論述だけで、実績というよりは考える力のほうをちゃんと見てくれるので、それは良かったです。子どもの頃からテストは得意だったので(笑)。それからアーティストとして、いろいろなところにレジデンスに行っています。

―これまで切り絵やインスタレーションなどさまざまな手法で表現されていますね。表現したいことや問いが先にあって、手法は後から考えるような形なんでしょうか?

 まだ自分の専門のメディアは決まっていないので、カオスですね(笑)。「カルティカといえば切り絵だ」みたいにイメージを固めてしまうと可能性が狭まるので、まだいろいろ試している段階です。でも、今回のチャイとか、飲食をテーマにするのはいいなと思っています。日常的なものもメディアになるというのがおもしろくて。

―毎日、みんな何か食べますからね。

 毎日食べてるってことは毎日アートしているってことで、そういうことに気づくとおもしろいなって。


―チャイを作ってふるまいながら、いろんな方とお話されていました。何か気づいたことはありましたか?

 他の地域のレジデンスに参加した時に、偶然、その地域に友達の親戚がいたんです。すると、「○○さんの知り合いね!」ということですごく距離が近くなりました。葛尾村ではそういうことはなかったので、その中で心の壁をどうやって崩していくかということに取り組んだと思います。
 人と人が信頼関係を結ぶこととか、コミュニティの中に入るときの入り口が違うとコミュニケーションも変わるんだなっていうことに気づきましたね。地域とか家族とか会社とか、これまでの経験をもとに、コミュニティとかコミュニケーションのことについて考えながら過ごしました。

―インドと日本、都市と地方、企業勤めとアーティスト。いろんな「あたりまえ」の違いに直面してきたカルティカさんならではの視点ですね。これからの活動も楽しみにしています!ありがとうございました。


アーティストインレジデンスプログラム「Katsurao AIR」

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