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Katsurao AIR アーティストインタビュー vol.4 町田紗記さん(前編)
アーティストが葛尾村に滞在してリサーチや制作を行うアーティスト・イン・レジデンス・プログラム「Katsurao AIR(カツラオエアー)」。2024年6~7月の2か月間、3名のアーティストが葛尾村で暮らし、それぞれの視点から制作に取り組んでいます。7月25日(木)から28日(日)の4日間は、葛尾村立葛尾中学校(休校中校舎)を拠点として、制作過程を公開するオープンスタジオ形式での活動報告会を実施いたします。
本稿では、滞在アーティスト 町田紗記さんのインタビューをお届けします。(聞き手:Katsurao Collective 阪本健吾)
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ー現在は愛媛県松山市にお住まいですが、しばらくは北関東にいらっしゃったんですよね。
生まれ育ちは群馬県高崎市で、その後大学進学で茨城県つくば市に4年間住んでいました。
ーこれまでの作品のモチーフは、山や動物などの自然界にあるものがすごく多いですね。子どもの頃の環境が影響しているのでしょうか?
母いわく、幼いときの私は、手を繋いでいないとどっかへ行っちゃうタイプの子だったみたいです。行動したいっていう気性があったんだと思います。それから、通っていた保育園がそういうところに熱心な保育園で。
ーそういうところと言いますと…
後で聞いた話なんですが、保育園児に年齢プラス1kmの距離を毎日歩かせていたらしくて。5歳児だったら6kmなんですよ。
ーえ……!長くないですか!?
朝、登園したらまず木の廊下をみんなで水拭きして、そのあと長く散歩して、給食は晴れた日は外で食べて。おやつは必ずみかんやふかしたお芋など自然派のものでした。ザリガニ釣りや虫捕りもしましたし、年長さんになると尾瀬ヶ原に泊りがけで行って歩いたりしていましたね。
ーすごい……今でこそ、自然の中で身体性を大事にした幼児教育というのはすごく価値が見直されてきていますが、高崎の街中に、その先駆けのような保育園があったんですね。
はい。街の中での自然との遊び方みたいなものは、その頃から身についていたと思います。自分の制作のことをずっと辿っていって、根源のところにまず何があるんだろうって思い浮かべると、だいたい保育園の記憶になるんです。当時から畑の大根の絵を描いたりはしていたのですが、絵を描くだけじゃない、ものをつくるっていうことをたくさん教えてくれたところでしたね。刺繡の針や小刀も保育園生のころから使っていました。
そうそう、年長さんっていわゆるお遊戯会があるじゃないですか。この保育園では、アイヌの踊りを踊ったんですよ。
ー高崎で?
はい。私たちが踊っていたのは、狩人の踊り、鶴の舞、鹿の舞。狩人は狩猟をする人の踊りですけど、鶴や鹿は、その動物になりきって踊っていたんですね。
子どもの世界観の中で、人間と動物って、たぶん、あまり区別がつかないままというか、人間が動物になるという感覚を覚えていて。それが身に染みていて、いまの制作の、人間と動物と植物が入り混じった絵を描くというところに繋がっているのかなと思います。
ー絵を描いていたお話も少しありましたが、小中学生の頃は、図工や美術はお好きでしたか?
基本的には好きでしたけど、小学校高学年の頃は、うまい人と比べてしまって描くことに苦手意識を持ってしまう時期がありました。ただ、中学の美術の先生がすごくいい先生で、なぜか私のことをたくさん褒めてくださったんですね。そのときに、こういうふうに描いていてもいいんだ、って自分を認められるようになったから、今も描き続けていられるんだと思います。
(後編につづきます)
アーティストインレジデンスプログラム「Katsurao AIR」
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