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人はなぜ学ぶのでしょう。

ふと、思うことがありまして。

なぜ、本を読んで学んだことを仕事に活かそうとするのだろうか?
もう、いい大人なんだから、もう勉強なんてしなくていいんじゃないだろうか?
ふと、そんな疑問が湧きました。

学びのスタイルは十人十色です。
本が好きだと言うと、人からも学ばないと生きた知識にならないからダメだ!と言う人が現れます。

それでは人から学ぼうと、社外の勉強会に参加したら、知識が足りないから、本を読んで学べ!とアドバイスされました。

どうしたらいいんやろ?
まるで昔話の「ろばを売りに行く親子」のようです。
この話の結末は、ろばが暴れて川に落ちてしまうという悲劇で幕を閉じます。人の意見を聞き過ぎてはいけないという教訓ですね。

社会人になり、20年以上手探りで学んできてわかったのは、本からも人からも、どちらからも貪欲に学べば良いんじゃないか、ということでした。

私は、なぜ学ぶのか。

私は、なぜ学ぶのでしょう。
若い頃から長い間、他の人との比較による相対評価に恐怖を感じ、本を読んだり、何かを学ぶ場に行くなど、行動することによって「自分は勉強しているから大丈夫」という安心感を得たがっていたのではないかと思います。
つまり、恐怖心や焦りが、私の学びの根本的な動機だったのではないか、と。

だから、形から入っていました。
本はビジネス書が中心でしたし、勉強会に身をおき、頑張っている自分を鼻にかけていた時期もありました。

今思えば、もったいないことをしたなぁ、と思います。

本であれば、ビジネス書だけでなく、小説やnoteからも多くの学びがあります。漫画からもたくさん学ぶことがあります。

人であれば、年上の人からはもちろん、若い人から、子どもからも学ぶことがたくさんあります、

仕事であれば、現場に行って困りごとについて見聞きすると、多くの情報が得られます。
この部分がうまくいってないな、という問題点だけでなく、その現場の雰囲気や、AさんとBさんの仲があまり良くないな、などという予想外の情報を得られることもあります。

出口治明さんが「人、本、旅から学べ」とおっしゃっているように、人から、本から、現場には、自分にはない多くの情報があります。

自分か受け入れられる状態であれば、有効な情報として学びにできますが、受け入れ体制が整っていなければ、貴重な情報も素通りしてしまいます。

つまり、受け入れる側の自分が、スポンジのように吸収できる状態になっていれば、世の中のありとあらゆるものから学べるんだな、と思ったわけです。

そして、学んだら、学びっぱなしにせず、自分の中の揺るぎない考え、いわば「ぶれない軸」につなげていくことが大切だと考えるようになりました。

そのために欠かせないのが、アウトプットです。具体的には、自分の言葉で自分の考えを表すことです。アウトプットには、話す、描く、書く、アート作品を作るなど、様々な表現法があります。

その中で私は、自分の考えを「書く」ことが、最も取り掛かりやすく、楽しい方法だという考えにたどり着きました。

今はTwitterとnoteで「過去の自分を励ます」というテーマで、日頃感じたことを自分の言葉に変換する習慣を続けています。
(そして、たまに切り絵をつくっています)

本日(2022年2月11日)現在、Twitterは772日、noteは59週連続投稿しています。
書くのが生活の一部になると、先日のnoteに書いたように、生きること自体がコンテンツになってきます。

日々の生活の中で湧き起こる自分の小さな思い。
その思いこそがオリジナルコンテンツです。
小さな思いを書く習慣を始めてみたい方には、いしかわゆきさんの「書く習慣」がイチオシです。
とにかく読みやすく、読んだ後に書きたくなる、面白い本です。

ぶれない軸と伸びしろ

本や人から学び、自分の考え方や価値観、善悪の基準を自らの言葉で明確にしていく過程で自分を知り、揺るぎない考えや心底から信じられるものを明確にすると、自分の中に「ぶれない軸」を持つことができるようになるんじゃないかと思います。

「ろばを売りに行く親子」は、アドバイスを聞く姿勢は良いのですが、ぶれない軸がないために、手当たり次第に言われたことを試して、ろばを失ってしまいます。この話でいう「ろば」は、自分の人生で大切なもの。大切なものを守るために、ぶれない軸を築く必要があります。

人の意見を聞くのが大事と言われます。
ぶれない軸を持つのも大事と言われます。
どっちも大事にすることはできるのでしょうか。

この問いには、私も長い間、答えを持ち合わせていなかったのですが、最近になり、ようやく自分の解答を見出しました。

私としては、どちらかが100で、どちらかが0ということはないと思います。
学ぶ過程で自分の良さや強みを見つけ、過去の自分からの成長を感じ、自分の「ぶれない軸」を強固なものにし、一方で、自分に足りないことを見つけ、さらなる成長に向けた新たな目標、いわゆる「伸びしろ」を見出すことができます。

この自分の軸と、新たな目標があれば、周りの人から多くのアドバイスをもらっても、自分の軸に照らして考え、必要な部分を吸収して、良い方向に進んでいくことが増えてくると思います。

いつまでも若さを心に持ち、いくつになってもしなやかさを失わない人は「ぶれない軸」と「伸びしろ」を持ち続けています。

そういうものに、わたしはなりたい。

あらためて、私はなぜ学ぶのか。

あらためて、私はなぜ学ぶのでしょう。
以前のように、他の人との比較による、相対評価の恐怖を発端にして学ぶのではなく、過去の自分からの成長を実感しながら、自分との対話を通じて「ぶれない軸」と「伸びしろ」を自覚する日々を積み重ね、最終的には、自分を知り尽くして人生を全うしたいと考えています。

人から、本から、現場から。
学び、書く。
自分の考えを言葉にするこのプロセスこそが、自分との対話であり、「ぶれない軸」と「伸びしろ」を獲得しながら、自分の人生を生きるということにつながるのではないかと思います。

自分を理解しても、周りの人間関係が良くならなければ意味ないよ、とおっしゃる方もいるかもしれません。

そんな方には、先日のnoteでご紹介した「自分と上手に話せている人は、他者とも上手に対話できる。」という田口淳之介さんの言葉を贈りたいと思います。

自分自身を深く理解している人は、自然体で生きることができるため、周りの人と助け合うことができます。周りの人と助け合えれば、世の中は少しずつ良くなると思います。

最後にもう一度、私はなぜ学ぶのか?
自分と対話して自分の「ぶれない軸」と「伸びしろ」を把握し、自分の強みを生かして、周りの人たちと共に、世の中をちょっとだけ良くしたい。
そのために、一生、学ぶんだと思います。

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

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