katsuo

ふだんは抽象画を中心に制作しています。 精霊、いのち、などをテーマに、美術作品の制作を…

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ふだんは抽象画を中心に制作しています。 精霊、いのち、などをテーマに、美術作品の制作を行なっています。 ■小林活夫ギャラリー http://midori-kikaku.com/gallery

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何故精霊たちを描くのか?

「何故精霊たちを描くのですか?」と、よく質問される。自分にとってこの数年間、描き続けてきたモチーフであり、テーマである。 そもそも精霊という存在は、非日常の存在であり、一般社会に於いては存在すらしないものとされている。いわば爪弾きにされているようなのだが、その存在感は半端なく巨きいのである。 彼等は、いったい何処を本拠地として活動しているのか? まずそんなところから考察し探っていくと、所謂日常性とは異なる、別格の存在場所があることを突き止めていた。其処は、彼等が活動する本

    • 森を歩く

      ときどき森の中を歩くことが、日課の一つとなっている。身体の健康のためには大切だが、決してそれだけが目的ではないのです。森の中では様々な種類の植物、樹々が迎えてくれる。また様々な種類の小動物たちも居たりして、それらたちとの出会いと発見は、とても大切な行為であることを実感するのです。 奥深い森に棲む植物たちには、妖かしの精霊たちが棲み憑いていると思う。まるで名状しがたい生命たちの息吹を感じさせるのである。そんな光景を描いた作品です。 狼が遠吠えをする姿は、なかなか人間社会から

      • 神々しく妖かしい存在

        奥深い森や里には神が居ると、むかしから考えられてきたものですが、果たして神が存在するか否か? はともあれ、奥深き森や里には、ある種の神々しく妖かしい存在が生きているのではないかと、考えている昨今です。 僕自身のこの2年ほどの田舎生活を通して、その確信を深めているところであります。 妖かしさとは、怪しいもの、不思議なもの、等々に語源を有するようでもあり、決して崇めたてられる代物ではないかもしれませんが、それでも僕は、妖かしを求めて、田舎の山々や里の散策を続け、それをテーマに

        • 闇の中から見えるもの

          昔から闇の世界を探訪することが好きである。少年のころから、田舎祭りの余興で開催された肝試し大会には奮って参加していた。真暗闇を自分の足のみで駆けて行く姿は、自分にとって貴重な体験であった。闇から戻って集落に駆け込む自身はとても誇らしくあり、自分で自分を褒めてあげたい気分でもあったのである。 そんな子供時代の誇らしい気分を携えて、今なお暗闇の探訪を行なっている。 田舎の古道を闇夜に探訪したときはとてもスリリングであった。その道は、歴史的街道の一つであるが、今は昔の古道として

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        何故精霊たちを描くのか?

          妖かしの里

          「妖かしの里」シリーズの新作です。F100号の、ちょっと大きめのキャンバスに描きました。 急峻な坂道、崖道、等々とともに、水の流れが里のハーモニーを奏でている。ありそうでなかなか無かった光景です。出会い、そして発見という作業は基本的な仕草であるとともに、最も根源的な人間の作業なのではないかと考えているこの頃なのであります。

          妖かしの里