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宇都宮に来ました。

というよりも、鬼怒川温泉に行く途中、
お昼ごはんを食べるために寄りました。

せっかくなので「宇都宮餃子」を食べようと、
ネットで調べ、人気店に向かいましたが•••

すごい行列で諦めました。

代わりに、近くにある餃子屋さんの中で、
比較的人が並んでないお店に行きました。

それでも1時間半待ちです。

炎天下(めちゃくちゃ暑かったです)
空腹の中、長時間並び、やっとの思いで、
宇都宮餃子にありつくことができました。

その餃子を食べて•••

美味しかったです。

とにかく美味しかったです。

食通ではありませんので、どう美味しいのか
という詳細なリポートはできませんが、
ただただ美味しかったです。

そんな幸せ感じながら、

東大寺の別当をされていた偉いお坊さんの
エピソードを思い出しました。

その方がドイツから見学に来ていた青年に

空というのはどういうことですか?

と質問され、

腹がへったら何でも美味い

と答えたというエピソードです。

自分たちは言葉に惑わされ錯覚しがちです。

美味しいもの

という言葉に惑わされて、

まるで「美味しいもの」というものが、
どこかにあるかのような錯覚をします。

そして、それを探し求めたりもします。

ネットで人気店を調べた自分のように。。。

でも、実際には•••

美味しいもの」なんてどこにもありません。

自分が何かを食べて、「美味しい」と思った時
それがはじめて「美味しいもの」になります。

美味しいもの」であるかどうかは、
そのものがもつ固有の特性ではありません。

自分と食べものとの出会いによって生まれる
ただそれだけの関係性でしかありません。

関係性だからこそ、全く同じものを食べても
美味しい」と思う時もあれば、
美味しい」と思わない時もあります。

全く同じ食べものであっても、
ある時には「美味しいもの」になり、
ある時には「美味しくないもの」になります。

ただそれだけのことです。

決して食べものに限ったことではありません。

良い人」も「悪い人」もいません。

できる人」も「できない人」もいません。

勝ち組」も「負け組」もありません。

この世はすべて関係性でできています

関係性の中で、たまたま自分がそう思った

それだけのことでしかありません。

とはいえ、「美味しい」と思うこともあれば、
美味しくない」と思うこともあります。

良い・悪い」「できる・できない」•••
それぞれに思うことがあります。

ただ、これが単に関係性の中で、たまたま
自分が生み出した思いに過ぎないんだと
知っておくだけで、

少し自由に生きられるような気がします。

ちなみにはじめに向かった人気店、
GWには8時間待ちだったそうです。。。

8時間待って食べる餃子は•••
きっと驚くような美味しさかもしれません。

宗慧

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