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ホツマツタヱに記される古代東北地方「ヒタカミ」とは?(その弐)

前回の記事では、、、

「中央政府断絶の危機を救ったのは、ヒタカミ(東北地方)を治める5代目タカミムスビであるトヨケカミだった」というところまで書きました。

この記事では、
「中央政府断絶の危機とはどのようなものだったのか?」
「どのようにその危機を乗り越えたのか?」

ということについて詳しく書いていきますね。

国の秩序が乱れた6代目アマカミ オモタル・カシコネの時代とは?

クニトコタチの八皇子のうち、ヲウミを中心とする中央政府を最終的に治めたのはトのミコトでした。

系図(クニトコタチ-トホカミエヒタメ)2.6

2代目アマカミであるトのミコトの皇統は、

3代目アマカミ トヨクンヌ
4代目アマカミ ウビチニ・スビチニ
5代目アマカミ オオトノチ・オオトマへ
6代目アマカミ オモタル・カシコネ

系図(クニトコタチ-トホカミエヒタメ)5-1

と続いていくのですが、、、

オモタル・カシコネ(ご夫婦です)がアマカミのときは、国の秩序が乱れた時代でした。寒冷化の影響による食料不足、盗み、、、お二人はやむなくホコ(矛)をもって人を斬り、国の秩序を守ろうとしました。

おそるゝは なつみどきれは
こたねたつ げにつゝしめよ

恐れるべきは、無罪人(なつみと)を斬るようなことがあれば、子種が断たれるので、げに慎むことです。

引用:やさしいホツマツタヱ ミハタの二十二ー二十四/いときょう著(ホツマ出版株式会社)P41 

オモタル・カシコネのお二人は御子を授かることができませんでした。

秩序が乱れた国を治める心労があったことは十分に想像できます。罪のない人を斬ってしまったこともあったようです。相当な混乱の最中に誤って、、、ということだったのかもしれません。

とにかく、このことにより、アマカミを継ぐ人がいなくなってしまったのです。

皇統の断絶、、、

その危機を救ったのがヒタカミ(東北地方)を治めていたトヨケカミでした。

トヨケカミはどのように中央政府を救ったのか?

トヨケカミが治めたヒタカミ(東北地方)の国はタのミコトの皇統です。

タのミコトにはお二人の御子がいました。2代目タカミムスビ(お名前はわかっていません)とアメカガミという方です。

系図(クニトコタチ-トホカミエヒタメ)2.7

2代目タカミムスビの系統は3代、4代を経て5代目タカミムスビとしてトヨケカミが登場します。そして、トヨケカミの娘がイサナミ(伊弉冉尊・イザナミノミコト)です。

アメカガミの系統はアメヨロズ、アワナギを経て、登場するのがイサナギ(伊邪那岐尊・イザナギノミコト)です。

系図(クニトコタチ-トホカミエヒタメ)3.1

伊邪那岐尊(イザナギノミコト)と伊弉冉尊(イザナミノミコト)はご存知の方も多いのではないでしょうか?


ホツマツタヱではイサナギイサナミという名で記されています。

イサナキイサナミ

このお二人はヒタカミ(タのミコトの皇統)の血筋を引いていたということですね。

トヨケカミはこの御二人をご夫婦とし、新たなアマカミ(第7代目)とすることで中央政府断絶の危機を救おうとしたのです。

つまり、第6代アマカミ オモタル・カシコネ(トのミコト)から第7代アマカミ イサナキ・イサナミ(タのミコト)は皇統が移ったということになります。

系図(クニトコタチ-トホカミエヒタメ)2.9

この御二人は古事記、日本書紀でも国生みをした神様としても有名ですが、ホツマツタヱにおいても皇統が移り、新たな時代が始まったときでもあったのですね。

ということはです。

伊勢神宮の外宮にお祀りされている豊受大神(トヨケカミ)と内宮にお祀りされている天照大御神(アマテルカミ)の関係がどのようなものだったのかも分かってきますね。

えっ?分からない?

もし気になるようでしたら、次回の記事でもう少し掘り下げて書いていきますのでご覧になってください(笑)

ではでは、最後までお読み頂きありがとうございました!

ありがとう(保存版-2)


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