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生きている意味が、わからなくなったら

人は、大きな問題や悩みを抱えているとき
もれなく


生きている意味って、
いったい、なんなのさ?😪


と、やさぐれた気持ちになるものです。



私も、ちょくちょくやりきれない虚しさを
感じていた時期がありました。
あっ、今でもありますよ。


会社の仕事がシンドかった日の夜寝る前や、
体調が超絶悪い日の朝とかもそうだけど、



平穏な日曜日の夜に、
「なんで、私って生きてるんだ?」
と、生きる意味を問う高尚な哲学者👴
に、突如と大変身しちゃうわけです。


逆に、嬉しいとき、楽しいときは
生きる意味なんてすっかり忘れてるというか、


意味なんてどーでもいい


とさえ思うのに(笑)。



生きる意味を深く考え出すと
決まってたどり着く行先は、

「虚無感」😪

なにをやっても、価値や喜びが素直に感じられない。

エネルギーのない絶望感ともいいますか……


”私、生きてまーす!🙌”

というエネルギーが枯渇している状態。



こうなっちゃう原因は、シンプルです。

本当の自分を生きずに、
偽りの自分を生きてるから



もちろん、社会の中でみんなが秩序を保って
生きていくには、少しくらいの偽り(装い)
の部分はあって然るべきですが、



でも、その割合が、
自分が自分でなくなっちゃうくらいのパーセンテージ
まで高まると、生きる無意味さを感じて、
「虚無感」に襲われてしまうのです。


ほんとうは苦しいのに
大丈夫なフリしてしたり、


ほんとうは悲しいのに
笑ってごまかしたり、


ほんとうは怒り心頭なのに、
冷静さを保ってカッコつけたり、


ほんとうは嫌いなのに、
好きなフリして穏便にやり過ごしたり、


苦しい、悲しい、怒り、嫌いを
都合が悪いという理由でなかったことにすると、



自分のなまの感情やホンネが
だんだんわからなくなってくるですよねー、これが。



これが続くと、しまいには、
「好き」「嬉しい」「楽しい」
ことさえも、ちゃんと感じれなくなってしまう。


だから、
もし「虚無感」が突然襲ってきて、
生きている意味が、わからなくなったら


自分にだけは、
自分の素直な感情を吐き出すことを
ゆるしてあげて、



自分をリラックスさせてあげること。
これで、ちょっとスッキリしたり、ホッとする。


”生きる意味” を知りたい人々が、
昔から絶え間なくたくさん存在するから

いろんな分野でその答えのようなもの
が用意されている。



心理学、社会学、成功哲学、宗教、哲学、
仏教、脳科学、スピリチュアルなどの
教えの中にヒントはあるけれど、


自分にとっての最適な答えは、

そこにはない。

と、私は思っています。


本当の自分を生きること

の過程の中にでしか、ないのではないでしょうか。


自分を信頼して
自分に心を開いて
自分に問い続けていこう ♪




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