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”嫌い”は、インスピレーション

みなさんは、好き嫌いの感情は強いほうですか?

例えば、人の好き嫌い、食べ物の好き嫌い、ファッションの好き嫌い、ライフスタイルの好き嫌い、etc… 


私は子どものころから、学生、社会人になってからも、好き嫌いが激しいのは、良くないこと、好ましくないことだと教えられてきました。


自分自身は、好き嫌いは結構ハッキリしている方だと自覚しています。ただそれを、公の場では控えた方が、周りと波風立たずにやり過ごせると感じていました。


「好き嫌いが激しい」を良くいえば、白黒ハッキリしてこだわりが強く独自性を持っている。悪くいえば、選り好みをしてわがままで協調性がない。日本では社会通念的に後者のイメージが強いですよね。


「好き」は別として、「嫌う」ことは悪いことだとされています。だから、「嫌い」の感情が出てくると、「あっ、また嫌ってしまった。私ってイヤな人間だな」と、嫌悪感や罪悪感を感じてしまいがちです。


でも、「嫌い」とは「好き」の感情と同じく、自然と湧いてくるピュアなもので、自分ではどうすることもできません。「嫌い」を力づくで、「好き」に転換させるのは不可能です。


人としてどう思われるか?と考えがちですが、
「嫌い」って気持ち自体は、否定しなくてもいいのではないでしょうか。


そして、この「嫌い(嫌)」の感情には、


私たちを危険から守り、幸せに導くための大切な情報が詰まっています。



「嫌い(嫌)」には、危険を察知するシグナルがあります。例えば、腐った食べ物から【嫌な】臭いが漂うことで、私たちにこの食べ物は有害であることを教えてくれます。それでも口に入れてしまったとしても、【嫌な】味がするので最後まで食べられないので、命の危険から遠ざけてくれます。


また、「嫌い(嫌)」には、自分にとって相応しくないもの、合わないものを教えてくれるので、「好きなこと」「心地よいこと」が浮き彫りになります。好きなことがわからない、やりたいことがわからない方は、この「嫌い(嫌)」に敏感になってみると、大きなヒントを得られると思います。


「嫌い(嫌)」なネガティブな感情は、なるべく感じないようにしたいというのが人情ですが、私たちを生かして止まない大切なインスピレーションでもあるのです。


だから、私は「嫌い(嫌)」は、
私を守ってくれて幸せに導いてくれる天からのお知らせだと思ってからは、なにかを嫌っている自分に対して、嫌悪感や罪悪感を前ほど抱かなくなりました。


全ての感情は私たちの味方です。
「嫌い(嫌)」な感情を否定せず、ただそのまま受け入れられた時、彼方からインスピレーションのシャワーが降り続けるでしょう。


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