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不幸にフォーカスを、趣味にしない。

天気のよい日に、外でスマホカメラで
草花、空、月、を撮るのが最近のお気に入り。


下手っぴなので、満足のいく写真は撮れないけど、気づいたことがありました。


ある日、撮影のため、被写体(梅の花のつぼみ)をジーと見つめていると、被写体以外(まわりの風景)は、自分の注意が向かなくなる、つまりどーでもよくなるんですよね。どうせ、ぼやけて見えなくなるので。

(プロの写真家は、そうじゃないと思いますが)

梅の花のつぼみ


これって、私の心の”クセ”、そのものじゃん!

と思ったんです。


どういうことかというと、

被写体としてフォーカスする対象が、
「梅の花のつぼみ」のように美しく、可愛らしいものであれば問題はないですが、


日常生活の中で、被写体としてフォーカスする対象が、いっつも「心配」「不安」「苦しみ」ばかりで、

被写体以外(うまくいっていること、よかったこと、嬉しかったこと)が、ぼやけて見えなくなっている。


心は、カメラのオートフォーカス

のようだと思ったんですよね。


でも私の場合、油断をすると被写体が、
「心配」「不安」「苦しみ」にばかりフォーカスしてしまい、気分がもっと落ちたときになると、


カメラのオートフォーカスどころではなくなり、


虫メガネで「問題」を拡大

して見てしまうんです。
「問題」が実寸大よりも巨大化して、かなり盛られた状態に!


心のほとんどのスペースをこの「問題」で占領されてしまうんです。キャー、恐ろしい。


しまいには虫メガネで集まった光で、ナイーブな心がアッチッチー🔥となります。でも、相も変わらず「問題」は残ったまま。都合よく燃えてなくなってはくれません。


オートフォーカスする対象が今抱えている「問題」ばかり。それ以外でうまく回っていることって実はいっぱいあるのに、ピンボケ背景の脇役のまま。


例えば、荷物が時間通りに到着した、家族全員が無事に帰宅した、どこも痛くも痒くもない、暖かいお風呂に入れる、そんな無味無臭レベルの些細なことはフォーカスなんてしません。


理由は、被写体としては、フツー過ぎて映えばえませんからね。どうしても、コントラストがハッキリしている「問題」を被写体として選びがち。

せめて、「問題」と向き合うときは、拡大して見えてしまう虫メガネはやめようと思うのです。


カメラのオートフォーカス機能で十分。
でも、ほどほどに、上手に使いたいところ。


* * *

これから春に向けて、草花に彩りが増してきます。


美しさ、喜び、楽しさ、そしてなにより
当たり前すぎて通り過ぎてしまう些細なことに、
どんどんフォーカスして、心のカメラでバンバン撮っていきたい。


もう、不幸にばかりフォーカスして写真を撮る趣味は、もうやめてもいいのです。


そして、私たちの心のレンズに映るものは、幸せばかりになるでしょう。

春が楽しみですね ♪


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